2.謎の絵師山蝶

 勝山調の子孫鈴木謙太郎家には、山調の作品以外に絵師皿丸の資料が多数伝来していたが、その他に山蝶という落款がある「二十三月夜天子図」があった。

 山蝶は山調の別号なのであろうか。例えば歌川国貞が英一蝶に深く私淑して香蝶楼と号したように、山調も同じ理由で山蝶とも号して少しも不思議ではない。

 しかし、写真36の山蝶画「鹿島踊り図」を見て、これを山調と同一人の筆と見るのは難しいのではないだろうか。

 では山蝶は誰かというと現時点では残念ながら不明である。山調の子供たちには可能性を見付けられないので、山調門下なのであろうか。何れにせよ謎のままである。

37.山調画「素戔鳴尊{すさのおのみこと}八岐大蛇{やまたのおろち}退治之図」 文政5年(1822年)
37.山調画「素戔鳴尊(すさのおのみこと)八岐大蛇(やまたのおろち)退治之図」 文政5年(1822) 当館蔵

 山調は日本神話を題材にした作品も多く残している。
 写真37は、天上の高天原から追放された素戔鳴尊が出雲国でヤマタノオロチを退治して、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と櫛名田比売(くしなだひめ)を得たという神話の図。
 これらの人物の顔はマンガチックに描かれて山調独特の画風となっている。