山調は狂歌にも深い関心があったようであるが、その作品の中にしばしば絵具皿丸なる狂歌師が見え隠れする。『戯作神燈画』の表紙には「画工山調守種、絵具皿丸撰」との表題があり、写真32の狂歌碑は表裏2面を二人で使い分けている。この二人の関係を物語る確かな資料は現在確認されないが、山調の子孫鈴木家では同一の人物と言伝えている。
28.山調画「やぶれかや」
『戯作神燈画』の中の所収画 当館蔵
地口行灯(ちぐちあんどん)
地口とはふつう世間に行われている成語に、語呂を合わせた言葉のしゃれで、「前代未聞」にかけて「膳代二文」という類。
行灯に地口を描いたものを地口行灯といい、多くは戯画を添えて描き、祭礼の折などに路傍や軒先などに掛けられた。
地口や狂歌を解説するのはイキではないが、「いただいて後へなげやる蚊やのすそ」は人間の所作をよく観察していて滑稽である。
なぞ・ やぶれかやとかけて蓬莱
心は・ つる(鶴)と蚊め(亀)がはいります
29.山調画「水汲む親父 秋の夕暮」
『戯作神燈画』の中の所収画 当館蔵
水汲む親父 秋の夕暮
言うまでもなく、『百人一首』の良暹法師の「寂しさに宿を立ち出でてながむれば いずこも同じ秋の夕暮」の地口である。
『戯作神燈画』にはこの他にも「かみゆう所へ手がとどく」とか「手水のてから水がもる」などの地口、「木の実(このみ)をば猿にくわせて此身をば猿に養せてもらうさるひき」といった狂歌が書かれた絵手本が39点所収されている。