山調は常に画工としての精進を生涯怠ることがなかった。それを物語るような大量のスケッチが、『山水図集』や『草花図集』などに綴られている。
山調自身「造化を師とする」と述べているが、写生の際の観察眼は正確である。ともすると人間は印象により誇張して描くものだが、山調の描く富士山などは全く写実的といえる。
![左:52.山調画「山水図」 習作 右:53.山調画「竹に小禽図」 『山水図集』所収](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-027-01-01.jpg)
右:53.山調画「竹に小禽図」 『山水図集』所収 当館蔵
![54.山調画「草花図」 『草花図集』所収](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0303-027-01-02.jpg)
この年山調は69歳。前年に妻ハルに先立たれている。
音羽町二丁目にハルの姉おてうの婚家があった。
山調は常に画工としての精進を生涯怠ることがなかった。それを物語るような大量のスケッチが、『山水図集』や『草花図集』などに綴られている。
山調自身「造化を師とする」と述べているが、写生の際の観察眼は正確である。ともすると人間は印象により誇張して描くものだが、山調の描く富士山などは全く写実的といえる。
この年山調は69歳。前年に妻ハルに先立たれている。
音羽町二丁目にハルの姉おてうの婚家があった。