2.画工精進

 山調は常に画工としての精進を生涯怠ることがなかった。それを物語るような大量のスケッチが、『山水図集』や『草花図集』などに綴られている。

 山調自身「造化を師とする」と述べているが、写生の際の観察眼は正確である。ともすると人間は印象により誇張して描くものだが、山調の描く富士山などは全く写実的といえる。

左:52.山調画「山水図」 習作 右:53.山調画「竹に小禽図」 『山水図集』所収
左:52.山調画「山水図」 習作 当館蔵
右:53.山調画「竹に小禽図」 『山水図集』所収 当館蔵
54.山調画「草花図」 『草花図集』所収
54.山調画「草花図」 『草花図集』所収 当館蔵

この年山調は69歳。前年に妻ハルに先立たれている。
音羽町二丁目にハルの姉おてうの婚家があった。