安房神社(概要)
(館山市大神宮589)
神社の言い伝えでは2660年以上の昔、天富命(あめのとみのみこと)が阿波の忌部(いんべ)一族を率いて安房国を開拓しに来た際、自分の祖先である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るために建てたのが安房神社である、とされている。その由緒が戦前に寺崎武男によって壁画に描かれ、そのうち2枚が参拝控処に掛けられている。
この祭神は伊勢神宮にも祀られていることから、本殿は伊勢神宮と同じ神明造りである。安房一宮で「安房坐(あわにいます)神社」とも呼ばれ、周辺の人々からは「大神宮」として昔から親しまれてきた。平安時代には朝廷の大膳寮に祀られる御食神(みけつかみ)で、日本にわずか9つしか存在しなかった神郡(しんぐん)と呼ばれる所領を持つ神社となり、明治に入ると官幣大社に列せられ国家の保護を受けるなど、今も昔も安房において非常に神徳の崇い神社である。
(1)社号碑
元帥東郷平八郎の書になる石碑。安房神社の目印の一つである。昭和8年(1933)建立。
(2)水田三喜男顕彰碑
水田三喜男先生遺徳顕彰会によって建てられた記念碑。そこには「偽らず・欺かず・媚びず」という、鴨川市出身の元大蔵大臣であった水田三喜男の言葉が誌されている。
(3)旧宝物殿
現在は利用されていないが、戦前に宝物殿として建てられた建物。いつの時代に立てられたかは定かではないが、昭和の初期建設と伝えられている。
(4)館山海軍砲術学校第三期兵科予備学生戦没者慰霊碑
昭和45年(1960)10月10日に建てられ、平成12年(2000)10月10日に再建された慰霊碑。神戸地区にあった館山海軍砲術学校の第三期兵科予備学生229名の戦没者の名が記されている。境内に植えられているソメイヨシノの桜-229本は、この慰霊碑建設の際に植えられたものである。
(5)海軍落下傘部隊慰霊碑
昭和48年(1963)に元海軍落下傘部隊一同によって建てられた慰霊碑。横須賀鎮守府の第一特別陸戦隊43名、第三特別陸戦隊46名の戦没者名が記されている。当時の首相田中角栄が揮毫。
(6)厳島社(いつくしましゃ)
拝殿の手前にある6畳敷き以上もあるかと思われる巨大な岩石は、社殿のできる前にはこれを岩座(いわくら)として、祭神を天よりあるいは吾谷山の頂より招いて、原始的な祭祀が行われていたと考えられている。現在は弁天様が祀られ、文化11年(1814)の手水石がある。
(7)日露戦役記念碑
明治39年(1906)10月16日に神戸村の恤兵会(じゅっぺいかい)によって建てられた記念碑。元帥大山巌の揮毫。神戸村出身の内地勤務3名・海外出兵88名の戦役従軍者の名が記されている。ちなみに恤兵とは物品または金銭を寄贈して戦地の兵を慰めることである。
(8)琴平社(ことひらしゃ)
航海の安全を守る神様で、元は安房神社とは別のところに祀られていたものを氏子が先頭となってここへ移動した。琴平社の祭事は9月27日に行われる。
(9)上の宮(かみのみや)
安房神社の主祭神を祀る本殿、礼拝のための拝殿、お供え物を調理する神饌所(しんせんじょ)の三施設からなる。主祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)の夫婦神である。本殿の造りは伊勢神宮と同様の「神明造」で、釘が一本も使われていない。例大祭は8月10日である。
(10)御仮屋(おかりや)
8月10日の例大祭の時に、洲宮神社を始め安房神社周辺の9社(白浜・滝口・神余・佐野・中里・犬石・布良・相浜・洲宮)が神輿を集め奉安しておく場所であったが、諸種の事情により昭和20年代前半に9社そろっての入祭は行われなくなった。現在は9月10日に御仮屋祭が行われている。江戸時代には9月28日の浜出神事の際に神戸郷の神輿が入祭していた
(11)御神水
上の宮後方の吾谷山(あづちやま)から湧き出ている御神水。今は止められているが昔は周辺の田畑を潤す重要な水源でもあったようである。
(12)下の宮(しものみや)
上の宮同様安房神社の中核をなす社殿。上の宮と違い本殿と拝殿のみで、祭神は房総開拓の神天富命(あめのとみのみこと)と安房国造大伴氏系の天忍日命(あめのおしひのみこと)である。下の宮祭は5月10日である。
(13)官幣大社記念碑
明治4年(1871)5月官幣大社に列せられたことを記念して周辺の氏子たちによって建てられたと思われる。震災時に倒れてしまったが10年ほど前に修復した。
(14)安房神社洞窟遺跡
昭和7年(1932)の井戸工事の際に見つかった洞窟で、標高22m前後。館山周辺に多く見られる海の侵食によってできた海食洞穴のひとつ。緊急発掘調査により貝輪193個と抜歯習俗の人骨15体などが発見されて注目された。現在は県の指定史跡になっている。調査後洞窟は埋め戻され、人骨の一部は翌8年に忌部塚として埋葬、供養された。
(15)忌部塚(いんべづか)
安房神社洞窟から発見された人骨が、忌部一族の御霊・人骨として祀られている塚。発見当時は、人骨の生存年代は弥生時代に遡るものとされたが、出土土器と一致しない。7月10日には報恩崇祖の誠を捧げる忌部塚祭が行われている。
安房神社主要祭礼一覧
1月 | 1日 | 歳旦祭 |
14日 | 置炭神事 | |
15日 | 粥占神事 | |
2月 | 節分日 | 節分祭 |
5月 | 10日 | 下の宮祭 |
6月 | 10日 | 厳島社祭 |
30日 | 大祓式(夏越の祓) | |
7月 | 10日 | 忌部塚祭 |
8月 | 10日 | 例大祭 |
9月 | 10日 | 御仮屋祭 |
14.15日 | 国司祭 | |
11月 | 23日 | 新嘗祭 |
12月 | 31日 | 大祓式 除夜祭 |
作成:平成16年度実習生
監修:館山市立博物館