城山

城山ガイド 歴史

「館山」の地名の由来になっている城山は、戦国大名里見氏の居城跡として知られています。実際に里見氏がここに住んだのは天正18年(1590)から25年ほどの間ですが、山麓からは、それ以前の室町時代のものである五輪塔や陶磁器も見つかっています。江戸時代に入ってすぐに、里見家の10代忠義が伯奢国(鳥取県倉吉市)に移されると、館山藩は廃藩となり、館山城も取り壊されました。その後江戸時代の末に、旗本だった稲葉氏が新たに館山藩をたてて、この地に陣屋を築きます。第二次大戦中には高射砲陣地となったため、山頂が削られ、周辺も破壊されましたが、近年城山公園として整備されました。

山頂周辺

(1)詩碑

 小高熹郎氏が作詞した「里見節」の詩碑。

(2)はらからの碑

(2)はらからの碑

 歌人佐佐木信綱(1872~1963)と館山出身の神作磯二(1890~1915)の歌二首を刻んだ碑。

(3)浅間神社

(3)浅間神社

 城山を富士山にみたてて、富士の神様をまつったもの。弘化4年(1847)に富士講中が奉納した手洗石と、幕末の絵師渡辺雲洋が描いた龍の天井絵がある。

千畳敷

(4)機関銃座跡

(4)機関銃座跡

 第二次大戦中に、火砲や機関銃が置かれた場所。丸く土塁をめぐらしてある。はらからの碑の裏にもコンクリートの砲座がある。

(5)海軍用地標柱

 第二次大戦中に軍の用地となった時建てられた、コンクリートの柱。2本ある。

(6)火薬庫用洞窟

 第二次大戦中に、弾薬を保管した。

義康御殿跡周辺

(7)姥神

(7)姥神

 里見氏が館山を居城にする以前の、室町時代の五輪塔。中世のやぐらが崩れて埋もれていたところから、明治時代に掘り出された。同じ場所から陶磁器も見つかっている。

(8)煙硝倉庫

(8)煙硝倉庫

 江戸時代の末に館山藩が火薬類を保管した倉庫。

(9)堀切

(9)堀切

 里見氏の居城だったころの空堀跡。尾根をV字に切って遮断し、敵の侵入を防いだ。

(10)義康御殿後

(10)義康御殿後

 館山を居城にした里見氏9代義康の御殿があった場所。発掘後、柱の跡に石を置いて目じるしにした。

館山藩陣屋跡

(11)貴美稲荷神社

(11)貴美稲荷神社

 里見氏の館山藩が廃藩になった後、江戸時代末に館山藩主となった稲葉氏がまつった神社。

(12)釆女(うねめ)井戸

(12)釆女(うねめ)井戸

 里見家の家臣印東釆女の居宅で使用したと伝えられる井戸。

(13)館山藩陣屋跡

 天明元年(1781)に旗本稲葉正明が安房国で加増をうけて1万石の大名となり、館山藩をたてた。寛政3年(1791)、現在「御屋敷」とよばれる場所に陣屋が築かれ、明治4年に廃された。

根古屋の古墓

(14)根古屋の古墓

(14)根古屋の古墓

 (7)と同様の五輪塔が掘り出されたところで、里見氏が築城する以前の、武士の居住地域とされる。

孔雀園

(15)孔雀園

 この場所は新御殿跡とよばれるところで、最後の城主里見忠義の御殿跡。昭和10年頃から終戦まで海軍の施設や官舎があった。当時の軍用の洞窟が残されている。

切岸

(16)切岸(きりぎし)

(16)切岸(きりぎし)

 里見氏の館山城は平山城形式で、急斜面の崖を石垣のかわりに利用した。この部分は、岩盤を垂直に切り立てた人工の城壁。


制作:平成8年度博物館実習生
監修 館山市立博物館