館山神社

館山神社概要

館山神社 境内

 館山神社は、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊した館山地区の新井・下町・仲町・上町・楠見・上須賀にあった神社を合祀(ごうし)(複数の神様を集めておまつりすること)し、館山全体の鎮守として創建されました。合祀された神社は新井の稲荷(いなり)神社、新井・下町(しもちょう)の諏訪(すわ)神社、上町(かみちょう)・仲町(なかちょう)の諏訪神社、楠見(くすみ)の厳島(いつくしま)神社、上須賀(うえすか)の稲荷(いなり)神社・八坂(やさか)神社、御屋敷(おやしき)の稲荷(いなり)神社の7社、さらに境内末社として新井と上須賀の各稲荷神社が祀られています。

 震災の翌13年から各神社の氏子同士で合祀についての話し合いが行われ、合祀場所として現在の場所が用意されていました。そして大正14年(1925)頃には館山神社として認可されたようで、昭和4年(1929)に現在の社殿などが竣工しました。

境内の紹介

(*マークの語句には説明あり)

(1)社名碑(しゃめいひ)

 県道側からみて、まず目に入るのがこの社名碑。大きく『館山神社』と彫られています。神社の表札のようなもので、社号碑(しゃごうひ)とも言います。倒れた鳥居の柱を利用しています。

(2)鳥居

 館山築港の工事が無事にできたお礼として、東京の大滝工務店が昭和12年(1937)に奉納したものです。右の柱には『奉』、左の柱には『納』と大きく書かれ、裏には『東京品川 大瀧祐弘 外一同』と奉納者が刻まれています。鳥居は、中央の横向きの貫(ぬき)が左右の柱を貫通せず、断面が長方形の「靖国(やすくに)鳥居」と呼ばれるもので、各地の護国(ごこく)神社に見られる形です。

(3)手水石(ちょうずいし)

(3)手水石(ちょうずいし)

 この手水石(*1)は八角柱形で、一部埋まってはいるものの、元禄7年(1694)という古い時代に寄進されたことと、寄進者であろう人物の『藤本』という文字が確認できます。

(4)手水石

(4)手水石

 地元出身の江戸大相撲力士で、引退後には廻船問屋として運送業で活躍した錦岩(にしきいわ)浪五郎(本名:森紋次郎)が、文政9年(1826)の十両昇進に際して新井浦の諏訪神社に寄進したものです。

(5)狛犬(こまいぬ)

(5)狛犬(こまいぬ)

 館山出身の彫刻家、俵光石(たわらこうせき)(*2)により製作され、大正6年(1917)に嶋田幸蔵により奉納されました。右の阿(あ)像には鶴、左の吽(うん)像には亀の彫刻がされています。

(6)槙(まき)の植樹記念碑

(6)槙(まき)の植樹記念碑

 2基で一対になっていて、合祀(ごうし)にあたり昭和2年(1927)に楠見の厳島神社から移した3本の槙の木を植えた際の記念碑。社殿に向かって右側の『奉』とあるほうは平成18年の祭礼で破損したため新しく再建されました。左側の池際のものは移植当時のままで正面に『献』と刻まれ、裏には槙の植樹に携わった楠見地区の人々の名前が刻まれています。またこの記念碑は鳥居を再利用して作られたもので、貫(ぬき)(鳥居の横の柱のこと)を差し込んでいた穴がみられます。下の方に見える江戸深川に住んでいた願主の鈴木某の名前は鳥居として奉納されたときのもの。

(7)依代(よりしろ)(*3)

 一辺が185cm程の正方形で一見砂場のようにも見えます。上町地区によって昭和15年(1940)に皇紀2600年を記念して奉納されました。隣接する記念碑は(6)の記念碑と同様に鳥居を再利用したことがわかる同じような穴が見られます。おそらく(1)と同じ鳥居だったのでしょう。

(8)力石(ちからいし)(*4)

(8)力石(ちからいし)(*4)

 『田村』とだけ刻まれた丸型の石と『奉■ 四拾貫目 ●』と刻まれた細長い形をした石の2つがあります。細長い石の裏には逆向きに「大昌稲荷神社」とあり、かつて奉納されていた神社の名前と思われます。

(9)手水石

(9)手水石

 上須賀の稲荷神社の手水石は正面から『奉納』の文字が見られます。右側面には奉納者の名前を示す『願主 楠見 石屋五左衛門』とあり、左側面には奉納された月日が「天保15年(1844)辰二月初午」と刻まれています。初午(はつうま)は稲荷神社を祀る行事が全国的に行われる日です。

(10)手水石

(10)手水石

 下町の石宮がならぶ一画の手水石は、文政3年(1820)に庄司仁兵衛・中山勇助らによって奉納された手水石です。裏には江戸両国の石工滝口某が作ったという銘文が見られます。

(11)手水石

(11)手水石

 新井地区の稲荷神社の社殿は平成8年(1996)に、鳥居は平成12年に新しく造られたものです。手水石はその際に新井地区の平成会・青年会・婦人会から寄贈されました。

ミニ辞典

(*語句説明)

*1 手水石

 参拝の前に手や口を洗い清めるための水を溜めておく石の入れ物のこと。手水石の置いてある建物のことを手水舎(ちょうずや)という。

*2 俵光石

 高村幸雲の弟子。東京美術学校で石彫教官として教壇に立ったこともあった。祖父の代からの石屋で、今もなお「俵石材店」として館山神社の隣で営業している。

*3 依代(よりしろ)

 祭礼のときに、神霊が降臨してくる際に、拠(よ)り所(どころ)となる場所。

*4 力石

 力試しに用いられた大きな石で、ほとんどのものが米俵(60kg)以上である。「貫(かん)」とは重さの単位で1貫は3.75kgに相当する。つまり四拾貫目は150kgとなる。また力石の中には持ち上げた人の名前が刻まれる場合もある。

旧  社  一  覧
旧社地社名江戸時代の管理者祭神
下町
新井
諏訪神社社家(しゃけ) 加藤数馬(下真倉)、
弊束(へいそく) 長福寺(仲町)
建御名方命
(たけみなかたのみこと)
上町
仲町
諏訪神社別当(べっとう) 長福寺(仲町)建御名方命
楠見厳島神社別当 観乗院(上須賀)市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)
上須賀八坂神社別当 観乗院(上須賀)素盞鳴命
(すさのおのみこと)
上須賀
新井
稲荷神社<上須賀稲荷>別当 吉祥院(上真倉)
<新井>?
倉稲魂神
(うかのみたまのかみ)
御屋敷稲荷神社天明3年(1783)
館山藩主稲葉氏勧請(かんじょう)
倉稲魂神

(注)社家:神職を世襲していく家柄  弊束:神前の供物を供える役目 別当:寺社の長官のこと

Topic

 平成20年(2008)2月25日に「新井の御船歌」が館山市の無形文化財に指定されました。御船歌は2月下旬の新年歌い初めのときと、8月1日・2日に行われる館山神社祭礼で、御船山車曳き回しのときと巡行先の各要所で歌われています。


<作成:平成20年度博物館実習生>
監修 館山市立博物館