崖観音

文化財ガイド 崖の観音 概要

(館山市船形835)

「崖の観音」で有名な大福寺は船形山の中腹にあります。断崖の途中に張り付いて見える赤い舞台造りの観音堂に、「崖の観音様」はいらっしゃいます。

 お寺の由緒では、「崖の観音様」は養老元年(717)に行基がこの地へ来たとき、崖に刻んだと伝えています。その姿からは平安時代中頃に造られたと考えられているようです。船底を臥せた形をしている船形山の観音様は、漁師などが海上安全の守護仏として信仰しています。また安房三十四か所観音霊場のひとつとしても知られています。

 隣には船形の鎮守諏訪神社が鎮座していて、江戸時代までは大福寺が諏訪神社の別当を務めていました。

大福寺エリア

(1)大福寺本堂 昭和2年(1927)

(1)大福寺本堂 昭和2年(1927)

 関東大震災で倒壊して、4年後に再建したもの。正面には獅子と龍の向拝彫刻がある。昭和3年、国分(館山市国分)の彫工後藤義房の作品。

(2)南無大師遍照金剛塔 明治17年(1884)

(2)南無大師遍照金剛塔 明治17年(1884)

 陽宜の書。弘法大師の1050年遠忌に、船形の醍醐新三郎が先祖供養のために建てた碑。

(3)弘法大師供養塔 文政5年(1822)

(3)弘法大師供養塔 文政5年(1822)

 台座に10名の法名が刻まれていて、海難事故の被災者と考えられる。その供養を祈念している塔で、高野山の木食観正に書いてもらった正面の「遍照金剛」とは弘法大師のこと。

(4)川名宗寿墓表 明治40年(1907)

 船形町川名の素封家で、俳人だった川名惣十郎(俳号:梅窓・宗寿)の碑。明治36年没。69歳。撰文は安房中教師の斉藤東湾で、俳句の弟子たちが建てたもの。

(5)日露戦争記念碑 明治39年(1906)

 船形地区から日露戦争に出兵した人の名前を記した碑。出征者87名、戦病死者5名の名前が刻まれている。

(6)延命地蔵尊 寛延3年(1750)

 弘法大師を信仰する船形の大師講の人達(女性が中心)によって作られた丸彫りの像。

(7)津波被災者供養塔 元禄16年(1703)

(7)津波被災者供養塔 元禄16年(1703)

 津波による被災者の供養塔。言い伝えによると、元禄16年11月23日の大地震のとき、船形浦の海上で船を仮泊していて、津波の犠牲になった乗組員7人の供養塔。7人のうち4人 は西宮(兵庫県)出身者である。それぞれの出身地が刻まれている。

(8)廻国供養塔 安永5年(1776)

 日本全国を修行して廻る行者だった船形の顕阿蓮入が、日本廻国を達成して建てた供養塔。

崖の観音堂エリア

(9)石段親柱 明治28年(1895)

 船形の小林小平治が中心になり、神社の氏子中によって神社の階段が整備されたときの親柱。もとは神社にあったと思われる。

(10)石段記念碑

 東京魚河岸有志・船形町魚商組合によって石段が寄進されたときの碑。この地域は漁業に関わりが深いので、海上安全と豊漁を祈願し感謝するためであろう。

(11)石燈籠 明治34年(1901)

(11)石燈籠 明治34年(1901)

 船形の魚商座古六が発起人となり、東京魚河岸の魚問屋によって寄進されたもの。

(12)手水石 文政元年(1818)

 手水石とは神仏を拝むとき、手や口を清める水の入っている石である。船形中宿の6人の女性たちが中心となって寄進したもの。

(13)観音堂 大正14年(1925)

(13)観音堂 大正14年(1925)

 崖から張り出すような堂ができたのは、江戸時代の元禄地震後の復興のときで、大正地震のあとも同じように再建された。観音堂内には、明治39年に船形の人々が寄進した賽銭箱、昭和33年に船形潮俳句会から改築記念に贈られた14作品 の俳句、享保15年(1730)に長狭の佐生勘兵衛によって寄進された御詠歌(船形へ参りてみれば崖作り磯打つ波は千代の数々)の額などがある。観音堂の縁先に立つと、鏡のように波静かな館山湾を一望におさめ、伊豆大島・天城の山々がそ びえる海は、実に風光明媚な眺めである。

諏訪神社エリア

(14)古峯神社 明治14年(1881)

 船形の古峯講の人達によって、火伏せの神(火の用心の神様)として祀られた。石宮は地元船形の石工大和地新兵衛が製作。

(15)諏訪神社

(15)諏訪神社

 この神社は、船形地区の総鎮守で、船形住民の氏神としてあがめられている。各町内の住民は、自分の町内の神社のほかに、ここにもお参りに来る。言いかえれば、船形住民のシンボルであり、地区民の連帯意識を支える重要な役割を果たしている。船形地区で神主さんがいるのはここだけで、各町内の祭典は諏訪神社の神主が儀式を司る。社殿は関東大震災後の昭和2年の再建で、向拝の彫刻も後藤義房による大正15年の作。神号額はその師匠の後藤義信の作。

(16)手水石 元治元年(1864)

石段の下に置かれていたが、関東大震災後の昭和3年10月10日、ここに移された。

(17)狛犬 安政2年(1855)

(17)狛犬 安政2年(1855)

 板屋助三郎・柴田平七が本願主となり寄進された。安房の名工と謳われた元名村(鋸南町元名)石工の武田石翁の作とする棟札が保存されている。傑作と伝わる。

(18)石灯籠 文政10年(1827)

(18)石灯籠 文政10年(1827)

 江戸と内房の魚問屋が奉納した石灯籠で、獅子などの彫刻もある。元名村(鋸南町元名)の金蔵という石工の作品。


平成14年度博物館実習生制作
監修 館山市立博物館