ロシアの南下に危機感を持った仙台の工藤平助や林子平が国土防衛策を論じたことから、海防論が盛んになります。天明6年(1786)に子平が「海国兵談」で海国日本の海防不備について指摘した直後から、日本各地に異国船が出現するようになり、幕府も対応を迫られて海辺諸藩に海防を命じ、江戸湾の防備や蝦夷地の防備を具体化していくことになりました。異国船の渡来が頻繁になる文政・天保頃からは国防を論じる人々も増え、そうした議論はやがて攘夷論や開国論へと進んでいきました。
松平定信述「婆心録」文政10年(1827)
当館蔵