(2)警備と支配の役所
  1.白河藩

 老中として東京湾の海防を主導した松平定信が藩主を勤める奥州白河藩(福島県白河市)は、文化7年(1810)から文政6年(1823)までの14年間にわたり上総・安房の警備を担当し、東京湾に面した3万2千石103か村を領地として与えられました。館山市内では館山藩領・北条藩領を除くほぼ全域です。上総国の竹ヶ岡陣屋と竹岡台場(富津市)、安房国波佐間村の松ヶ岡陣屋と洲崎台場(館山市)、白子村の梅ヶ岡出張陣屋(南房総市千倉町)を警備の拠点として、竹岡に200人、波佐間には500人を常駐させていましたが、文政4年に警備の重点を江戸前の海の入口富津岬へ移し、波佐間の陣屋と洲崎台場は廃止して富津陣屋と富津台場へと移転しました。

波佐間陣屋跡出土遺物
波佐間陣屋跡出土遺物 当館蔵
竹ケ岡御年始御名前十三ヶ村進物帳 文化12年(1815年)
竹ケ岡御年始御名前十三ヶ村進物帳 文化12年(1815) 当館蔵