5.房総諸藩の警備

 文政から天保の幕府直轄体制下では、房総の警備を担当した幕府代官の兵力が40名ということもあり、房総の佐倉藩や久留里藩が援兵を送る体制になっていました。上総鶴牧・飯野・佐貫、安房勝山・館山の内房沿岸諸藩も異国船警備に対応し、佐貫藩は大坪山(富津市)に台場を持ち、館山藩も高之島に台場があったと伝えられています。太平洋沿岸でも上総一宮藩・大多喜藩・武蔵岩槻藩の勝浦陣屋が警備体制をとっていました。台場も一宮藩で5か所、大多喜藩が大原・御宿で4か所、岩付藩も勝浦から和田にかけて12か所を備えていました。