南京船房州沖漂着一件

 安永9年(1780)4月末、房州千倉浦(南房総市)へ中国の交易船「元順号」が漂流、座礁するという事故がありました。外国船漂流者の扱いには規則が多いなか、近隣の村人たちは大暴風にもかかわらず、乗員78人全員を救助します。当初は、漂着地域の領主であった岩槻藩が対応にあたり、やがて幕府代官に引き継がれました。海岸には竹矢来の囲いを設けて、全員を仮小屋三棟へ囲い込み、その周囲には役人が詰める番所が設置され、人足が詰める番屋も置かれました。

 北は安馬谷・白子から南は白浜(共に南房総市)までの村々21か村では、米などの食料や竹木・縄・俵などの資料を提供し、炊出しや小屋番などの人足を出して世話をしています。やがてその範囲は広がり、犬石村や中里村(館山市)などでも人足を出すようになりました。7月2日に館山から海路で長崎へ向かい、帰国するまでのあいだ、61日間の滞在でした。

 この一件についての記録は多く残されており、房総各地でも、船主沈敬贍(ちんけいせん)の書を所蔵するお宅が館山市内にあるほか、館山にいた当時の絵師勝山調(かつさんちょう)のように乗員が落していったカルタを手に入れ、元順号の絵を描き残した人物もいるなど、大勢の見物人がいたようです。江戸から近いこともあってこの事故への関心は高かったようです。

漂客奇賞図 「千倉浦」 寛政2年(1790年)
漂客奇賞図 「千倉浦」 寛政2年(1790)