房総の警備を担当した藩の支配下におかれた村々では、御備場御用という新たな負担に対応しなければなりませんでした。警備役人の通行が増えると人足や馬の徴用に応え、宿を用意し、台場建設のためには材木を切り出し、異国船の発見があると陣屋へ通報し、陣屋や砲台へ人足・水夫として出かけ、船を持つもの鉄砲を持つ者は提供しました。警備の陣立は祭のようであったと語った人もいます。警備担当の藩は幾度かの交替をしましたが、領主を同じくした村々では役人の通行に対応する助郷組合が組織されたことで、連携する機会も増えていきました。
![異国船渡来之働二付称美添状](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0023-021-01-04-300x146.jpg)
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![「房海兵備策」 文久3年(1863年)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0023-021-01-11-300x241.jpg)
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