観音院

杉本山観音院の概要

(館山市西長田372)

真言宗宝珠院末で、本尊は聖観世音菩薩。天平6年(734)、慈覚大師が創建したと伝えられている。本尊と御前立像は平安時代の作で、藤原様式の古い仏像である。准胝(じゅんてい)観音坐像と虚空蔵(こくうぞう)菩薩坐像の2体は、廃仏毀釈の頃に西長田にあった黄檗宗(おうはくしゅう)般若寺が廃寺となり移されてきたもので、その他にも般若寺へ奉納された物が残されている。本尊は観音堂に祀られ、かつては安房国札観音霊場の結願寺であった。安房郡札観音霊場の第一番札所でもあり、杉本山という寺号の由来は、坂東観音霊場の第一番杉本寺にあると伝わる。向拝には後藤義光の彫物が施され、訪れる人を楽しませている。里見家から2石の寺領を寄進されており、慶長11年(1606)の里見忠義からの寺領寄進状が残されている(市立博物館で保管)。

(1)六地蔵

六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)において、衆生の苦しみを救う地蔵菩薩が入口に安置されている。丸彫りの像で頭部は補修されている。基壇に西長田の願主3名・施主18名・念仏講・千田順礼講・東長田1名の名が刻まれている。造立年代は不明だが江戸時代であろう。覆屋(おおいや)は蔵の風化を防ぐために昭和62年(1987)に寄進された。

(2)地蔵菩薩半跏像(はんかぞう)

像高84cm、右足を曲げ左足を踏み降ろした姿の地蔵尊。宝暦2年(1752)に西長田村の人々が建立した。

(3)地蔵菩薩立像

総高68cm、舟光背型。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ地蔵尊が浮き彫りにされている。施主は九良兵衛と七左衛門。

(4)灯篭(とうろう)

天保4年(1833)に奉納されたもの。地震等で倒れたと思われ、火袋は修理されている。

(5)手水石(ちょうずいし)

正面に「奉納」、右側面に「文政五午(1822)■八月吉人 セワ人」と刻まれているが、人名は風化して読めない。左側面は「順礼」の文字のみが残っている。順礼講が施主に加わっていたのであろう。

(6)観音堂

安房国札観音三十四か所霊場の第三十三番札所で、かつての結願所である。近年まで掛けられていた鰐口(わにぐち)は、南北朝から室町時代のもので、保存のため市立博物館で保管している。

1 向拝柱(ごはいばしら)礎石

獅子の彫刻が施されている。石工は東長田の中山七蔵と西長田の小金市太。

2 欄間(らんま)飛天彫刻

千倉の彫物師後藤義光が87才の最晩年に残した円熟の作品。義光は翌明治35年(1902)に88才で没した。

3 外陣(げじん)

「杉本山」の山号額には、「出流(いずる)山主浩然(こうねん)(釋浩然印)(良雄)」とある。浩然は坂東三十三観音霊場第十七番札所の出流山万願寺(栃木県)で、文化年間に住職を務めた人。

「慈光堂」の扁額には「弘福海流書」とある。東京向島の黄檗宗弘福寺の関係者か。弘福寺は館山藩稲葉氏の菩提寺でもある。

正面の柱に一対で飾られている漢語の板を聯(れん)という。左側に「臨済正伝」とあり、明治時代まで西長田にあった黄檗宗般若寺に納められたと思われる。

安房国札観音の御詠歌額が3枚ある。享保15年(1730)奉納のものは、長狭郡(鴨川市)の佐生勘兵衛が本願人。ほかに明治時代のものが2枚ある。御詠歌は2種類が詠まれている。

安房郡札観音の御詠歌額には、「第壱番杉本」とあり、順礼はこの寺から巡り始める。

4 向拝の彫刻一式

明治28年(1895)のもので、後藤義光81歳の作。浮彫・籠彫りという手法が使われ立体感にあふれている。子引龍、獅子と獏、波に亀、松に鷹、松に山鵲(さんじゃく)と鶴、雲に雁と燕、波に千鳥、波に鯉などが彫られている。

(7)宝篋印塔(ほうきょういんとう)

観音堂左手前のひと際目立つ宝篋印塔は、享和2年(1802)に東長田村・西長田村の人たちが、天長地久・国土泰平・五穀豊穣・両村繁栄を願った供養塔。基壇の銘で住職寛龍ほか願主・村役人・施主等29名と、光明講中・念仏講中・順礼講中・若者中による建立とわかる。石工は元名村(鋸南町)の飯塚吉五良。

(8)如意輪観音像

住職墓地入口に如意輪観音像がある。「寛文八戌申年十二月十五日 安房國安(房)郡西長田村 念佛講衆奉造立之」とあり、寛文8年(1668)に西長田村の念仏講衆が造立している。

(9)四国八十八か所順礼供養塔

1 個人墓地に挟まれて、田中太右衛門が嘉永7年(1854)に四国八十八か所を巡った記念の順礼供養塔がある。

2 寄せ墓の中に、丸彫りの弘法大師像を載せた享和2年(1802)の四国八十八か所順礼供養塔がある。弘法大師霊場を巡った行者長右衛門と角左衛門の名が刻まれている。台座と像は一石造り。

(10)鈴木半左衛門家の墓塔

里見義豊の子長田(おさだ)河内守義房を先祖とする家の墓域が、観音堂右手の一画にある。右手前の墓石に里見家没落の際、4代目義直が館山城で討死したという伝承が記されている。没落後は西長田村に土着し、代々半左衛門と称した。里見時代の先祖4人を供養した塔である。

(11)中世石塔

五輪塔(空・風・火・水・地)の内、空輪・風輪・火輪と宝篋印塔の笠と返花座(かえりばなざ)を組み合わせている。梵字を薬研彫(やげんぼり)で刻む。

(12)馬頭観音

弘化2年(1845)7月造立。六観音のひとつで頭上に馬の頭をいただき、馬口印(ばこういん)を結んでいる。煩悩を食い尽くし、打ち砕く観音菩薩と言われ、馬の無病息災や冥福を祈った。

(13)戦没者忠霊墓碑

日露戦争(明治37年・1904~)、日中戦争(昭和12年・1937~)、太平洋戦争(昭和16年・1941~)で戦病死した西長田の人達の6基の慰霊碑がある。日露戦争と日中戦争の5人の墓は個々にあり、太平洋戦争の忠霊墓碑には岡野利一他12人の名が列記されている。1・2は観音堂の左横、3・4・5・6は右横にある。

1 陸軍歩兵一等卒勲八等中山重太墓

墓石は下半分のみ残されている。日露戦争から凱旋後、明治39年(1906)に死去。

2 陸軍歩兵二等卒早川市太郎墓

大正8年(1919)12月に佐倉歩兵第57連隊に入隊。翌年3月佐倉衛戍病院において22歳で病死している。撰文と書は豊房村長の鈴木周太郎。

3 陸軍歩兵上等兵勲八等功七級小川市五郎墓

明治27年(1894)第1師団歩兵第2連隊に入隊し、明治38年(1905)満洲にて33才で戦死。

4 陸軍歩兵一等卒勲八等石渡幸三郎墓

明治37年(1904)に歩兵第2連隊に入隊し、明治38年(1905)に満洲で戦死。享年24才。

5 陸軍歩兵伍長勲八等功七級鈴木喜太郎之墓

昭和12年(1937)に応召し、昭和14年(1939)に中国で戦死した。享年34才。

6 忠霊墓碑

太平洋戦争で昭和19年(1944)から昭和23年(1948)に戦病死した13人の忠霊墓碑。昭和28年(1953)8月の建立で、豊房村の元村長鈴木貞良の書になる。


作成:ミュージアムサポーター「絵図士」
青木悦子・金久ひろみ・佐藤博秋・佐藤靖子・鈴木以久枝
2023.3.15作

監修:館山市立博物館
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