宝貝(ほうがい)

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 応永30年の鎌倉公方足利持氏御教書に、安東又三郎の旧領地として安房国安東郷内朴谷村がみられます。朴谷は宝貝の小字としてある宝ヶ谷にあたると考えられ、宝貝の最奥部の集落です。山をはさんで反対側の西斜面にある字永作には横穴古墳群もみることができ、古い集落であることがわかります。江戸時代初期の里見氏治政下では、廿人衆頭の波多野庄左衛門が知行し、村高は184石余。里見氏のあとは北条藩屋代氏が支配しますが、江戸中期以降は領主が度々交替しています。明治元年の村高は205石余。神社は熊野神社、寺院は覚性院があり、覚性院には中世の石造阿弥陀像と宝篋印塔の残欠がみられます。また江戸時代は熊野神社の階段下が高札場で、南側には郷蔵がありました。