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地名は丘陵北部に突き出ている二子塚状の小山にちなんだものといわれます。またその山頂にはふたつの塚がみられ、これは里見家の高田姫が生んだ双児を祀ったとの伝説もあり、リョウシャ様と呼ばれています。江戸時代初期の里見氏治政下では奏者の梅田与九郎が知行し、村高174石余。明治元年には222石余。神社は白幡神社、寺院は安養寺が小山の周囲にあり、他に妙長寺があります。明治6年に二子学校が開校、大正10年には九重駅が開設されます。昔から館山方面から千倉・丸山への分岐点にあたり、元文2年の道標が残されています(現在は安養寺境内にある)。