九重地区略年表

西暦 年号 事項
6~7世紀頃 大井・竹原などの横穴古墳群がつくられる
和銅年間 この頃、片岡の服織部麻呂らが調を平城宮に納める
9~10世紀頃 江田・竹原などに条里制が施行される
1353年 文和2年 安東千手院の石造地蔵菩薩坐像が造像される
室町将軍足利尊氏、佐々木三郎左衛門尉長綱に安東郷のうち鴻栖村を与える
1356年 延文1年 水岡蓮蔵寺の木造釈迦如来坐像が造像される
1423年 応永30年 安東又三郎の旧領安東郷内朴谷村が真田刑部左衛門尉に押領される。鎌倉公方足利持氏、安房国守護上杉定頼に対し、同地を鎌倉極楽寺へ渡すよう命じる
1552年 天文21年 里見氏の家臣吉田下野守、竹原光堂を再興する
1584年 天正12年 里見義頼、手力雄神社を修復し、社領五貫代を与える
1589年 天正17年 里見義康、家臣石井駿河守に江田の所領を安堵する
1591年 天正19年 里見義康、手力雄神社に社領を寄進する
1597年 慶長2年 里見義康、清水村を本織の延命寺に社領として寄進する
1616年 元和2年 江戸幕府、手力雄神社へ43石余、竹原の日枝神社へ5石の社領を寄進する
清水村はひきつづき延命寺領となる
1638年 寛永15年 清水村を除く現在の九重地区が北条藩領となる
1709年 宝永6年 元禄地震で破損した手力雄神社の本殿が修復される
1711年 正徳1年 北条藩領の農民が一揆をおこし、薗村五左衛門をはじめ三人の名主が処刑される(万石騒動)
1712年 正徳2年 北条藩主屋代忠位、万石騒動のため領地を没収される
1796年 寛政8年 大井の加茂坂で虚無僧殺害事件がおこる
1825年 文政8年 清水村の算学者清水豊明、那古寺に算額を奉納する
安政頃 清水村の関流算学者高見桂蔵、近隣の子弟に算術を教授する
1868年 慶応4年 治安維持のため、手力雄神社を中心に房陽神風隊が組織される
1873年 明治6年 宝貝・南片岡・北片岡・清水・安東・二子・薗・水玉・大井・竹原・江田の各村が千葉県に編入される
1875年 明治8年 南片岡村・北片岡村・清水村が合併して水岡村となる
1889年 明治22年 宝貝村他8か村が合併して九重村となる
九重尋常小学校開校する
1921年 大正10年 国鉄北条線九重駅開業する
1942年 昭和17年 九重村役場火災焼失
1954年 昭和29年 九重村、館山市と合併する