春光寺から西へのびる尾根を明星山と称し、戦国時代は里見氏の家臣薦野氏の居城であったと伝えられています。薦野神五郎時盛の娘は里見義弘の側室になり、頼俊を生んだといわれ、頼俊はのち薦野神五郎の名跡を継ぎ、慶長期には里見忠義の一門として、竹原村・古茂口村・山荻村で計2,524石余を知行していました。慶長19年の館山城開城の際、薦野神五郎以下数十名が討死したという言い伝えも残っています。
◇交通 日東バス鴨川駅行水玉下車徒歩7分
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春光寺から西へのびる尾根を明星山と称し、戦国時代は里見氏の家臣薦野氏の居城であったと伝えられています。薦野神五郎時盛の娘は里見義弘の側室になり、頼俊を生んだといわれ、頼俊はのち薦野神五郎の名跡を継ぎ、慶長期には里見忠義の一門として、竹原村・古茂口村・山荻村で計2,524石余を知行していました。慶長19年の館山城開城の際、薦野神五郎以下数十名が討死したという言い伝えも残っています。
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