大正11年(1922)秋、虚籟は関西への伝道の旅次、信仰の友であった大久保寿麿を訪問する。そこで大久保夫妻が綴錦織を織っているのをたまたま見て、「世には、こうした芸術もあるのか」と驚嘆し、早速、その伝統記述を伝授してくれるよう頼み込んだ。これを虚籟は「私の綴織工芸への門出でもあり、人生行路における、綴織り順霊の旅の出立でもあった」と述べている。虚籟32歳のことであった。
大正11年(1922)秋、虚籟は関西への伝道の旅次、信仰の友であった大久保寿麿を訪問する。そこで大久保夫妻が綴錦織を織っているのをたまたま見て、「世には、こうした芸術もあるのか」と驚嘆し、早速、その伝統記述を伝授してくれるよう頼み込んだ。これを虚籟は「私の綴織工芸への門出でもあり、人生行路における、綴織り順霊の旅の出立でもあった」と述べている。虚籟32歳のことであった。