【4】綴錦織と曼荼羅
 1.綴錦織の歴史

 綴錦織は綴織ともいい、その起源は古く、西アジアにおいて始まったといわれ、エジプト王の墓やアルタイからも発見されている。

 その後、東西に広がり、コプト(エジプト)やタピスリー、ゴブラン織(フランス)など、世界各地において古くから製織されている最も原始的な織物で平組織である。これらは毛織物で、中国に伝わると、絹糸を用いる緙糸(こくし)という織物となる。

 わが国には奈良時代に中国から伝えられ、絹糸が用いられた。奈良県当麻(たいま)寺に伝わる国宝「綴織当麻曼荼羅図」もその頃のもの。その後、絶えてしまうが、江戸時代末期に研究再興され、明治時代には美術作品も見られるほど盛行し、海外に輸出されるまでになった。

 織り方は、無地の部分も模様も平組織となっているが、一般の紋織物と違いは、無地の部分を除いて織り幅いっぱいに緯糸(よこいと)を通さない。無地部分と文様部分との緯糸が別々に織り進められるので、隣接する二色の緯糸の境目が左右に折り返されるために、緯糸に沿って隙間が生ずる。これをハツリの孔(あな)という。

 一般の織物で使われるようには筬(おさ)を用いず、染色した絹糸を経(たて)糸にして、経糸の下に図柄の向きを逆さにした下絵を置き、それを見ながら経糸に対して斜め45度に緯(よこ)糸を一色ずつ杼(ひ)で挿入し、鋸歯状に削った中指の爪で掻き寄せ、さらに筋立て櫛を用いて模様を織り出す。

 織りながら巻き込んでいくため、作品の見える部分は作業しているところが、スリット状に見えるだけである。そのため大きな作品では下絵を2枚描き、1枚を経糸の下に、もう1枚を全体像の確認用に壁に掲げておくという。

 細かな模様ほど煩雑な爪先の手数が必要となり、1尺(約30cm)幅のもので、1日に僅か2~3cmしか織り進めないという。気が遠くなるような手間暇のかかる作業である。

 綴錦織は、現在の織物の中でもフランスのゴブラン織と同じく最高の物とされ、袱紗(ふくさ)や緞帳(どんちょう)、壁掛・帯等の美術工芸品として制作されている。

制作中の和田秋野さん

制作中の和田秋野さん

 綴錦織は鑑賞する面ではなく、裏側を見て織り上げていく。また狭い作業部分しか見えないので、全体のイメージを思い浮かべ、計算しながら織成する。

消えた当麻曼荼羅

 虚籟は綴錦織の研究の手始めに、まず奈良県当麻寺伝来の国宝「綴錦浄土変観経曼荼羅図」を調査した。通称当麻曼荼羅とも呼ばれるこの綴錦織は中将姫が蓮の糸で織り上げたという伝説がある。そんな虚籟に古代蓮の専門家大賀一郎東大教授から、現代の当麻曼荼羅の制作を依頼される。強度が足りない蓮の糸を、絹糸に絡め、苦心の末に 勢至菩薩像を完成させた。ところが当麻寺へ納める運搬中に行方不明になってしまうのである。

当麻曼荼羅「勢至菩薩像」下絵
当麻曼荼羅「勢至菩薩像」下絵
当麻曼荼羅一部 勢至菩薩謹写 虚籟
当麻曼荼羅一部 勢至菩薩謹写 虚籟

綴錦として織成し当麻寺へ献納を発願したとある。