【2】盟友/和田秋野
 1.安房へ、そして出会い

 秋野は明治41年(1908)9月22日、大分県大分市に生まれた。父は安房郡豊田村(現在の丸山町)の出身で、大分県立大分第一高等女学校の校長を長く務めた教育者である。母の生家は代々松江藩の家老職であったといい、秋野もそのような教育を受けて育った。

 秋野は大正15年(1926)、父の大分県立大分第一高等女学校を卒業。昭和4年、父の定年退職に伴い、一家は父の故郷に引き上げることになり、秋野も安房に住むことになる。

 昭和9年(1934)、秋野26歳のとき、紹介する人があって安房北条にいた遠藤虚籟の下で綴錦織を習うことになった。

 当時、綴錦織作者として名声が高まり、世間の注目を浴びていた虚籟であったので、たくさんの入門希望者がいたようだが、カルチャースクールのようになるのを嫌った虚籟はその後弟子を取ることをやめてしまったという。

和田秋野さん近影
和田秋野さん近影

 「眼も耳も大丈夫、毎日が幸せですよ」と語る97歳。とてもお元気です。