5.霊巖所縁の房総の寺々

(1)大勝院(だいしょういん)(籠(かご)阿弥陀)

大勝院本堂
大勝院本堂

寺院名 / 本誓山(ほんぜいさん)大勝院超世寺(ちょうせいじ)
開創年次 / 元和2年(1616)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開基 / 内藤左馬助政長
所在地 / 安房郡富山町検儀谷(けぎや)
寺宝 / 版本『雄譽上人傳記』

(2)遣水寺(けんすいじ)

寺院名 / 玉龍山浄喜院(ぎょくりょうざんじょうきいん)遣水寺
開創年次 / 寛文6年(1666)
附法開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開山 / 相蓮社傳譽(でんよ)上人檀了(だんりょう)大和尚
所在地 / 安房郡鋸南町保田

(3)別願院(べちがんいん)(浜の寺)

別願院本堂
別願院本堂

寺院名 / 林海山(りんかいさん)別願院
開創年次 / 元和5年(1619)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 安房郡鋸南町保田
由緒 / 霊巖が佐貫より安房に渡る船を待っているときに、一村評議して上人に一宇造営を願い、この寺が開創された。そして壱千日の別時念仏(べつじねんぶつ)を執行したという。

(4)大圓寺(だいえんじ)

寺院名 / 佛道山超念院(ぶつどうさんちょうねんいん)大圓寺
開創年次 / 寛永元年(1624)
附法師 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開山 / 照蓮社光譽利天上人
    (しょうれんじゃこうよりてんしょうにん)
所在地 / 館山市大戸
由緒 / 往古は禅宗だったものをこの年に再興したという。開山の光譽利天は同地区東長田(ひがしながた)の生まれで霊巖より附法(ふほう)を受けている。

(5)大乘寺(だいじょうじ)

大乗寺本堂
大乗寺本堂

寺院名 / 普戴山源光院(ふたいさんげんこういん)大乘寺
草創 / 享禄2年(1529)
開山 / 心蓮社相譽(そうよ)上人
歴代 / 11世檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 富津市富津
由緒 / 往古は天台宗だったものを開山が浄土宗とした。寛永17年(1640)堂宇悉く焼失したが、霊巖を11世に迎えているのはこの復興のためと思われる。

(6)勝隆寺(しょうりゅうじ)

勝隆寺本堂
勝隆寺本堂

旧寺院名 / 慶相山佐貫院善昌寺
     (けいそうざんさぬきいんぜんしょうじ)
草創年次 / 天正18年(1590)
開山 / 光蓮社演譽馨香上人
歴代 / 3世檀蓮社雄譽霊巖上人
旧開基 / 内藤左馬介政長(弥次右衛門家長)(佐貫城主)
再興寺院名 / 覺雲山佐貫院勝隆寺
再興年次 / 寛文6年(1666)
再興開基 / 松平重治(佐貫城主松平出雲守勝隆の子)
現在寺院名 / 三宝山本誓院勝隆寺
所在地 / 富津市佐貫
由緒 / 寛文5年(1665)、内藤家奥州岩城平移城の際、寺号、住持を松平勝隆の名に変えて、再興したものである。
 大正10年(1921)、勝隆寺は三寶寺(さんぽうじ)と合併したが、それに伴い、寺号を現在のものに変更した。三寶寺は永禄2年(1559)、貞譽祖閑(そかん)上人を開山に、里見安房守義弘を開基に佐貫に創建された寺である。

(7)本覺寺(ほんがしじ)

左上:本覺寺本堂 左下:本覺寺梵鐘 右 :梵鐘銘文
左上:本覺寺本堂
左下:本覺寺梵鐘
右 :梵鐘銘文

寺院名 / 始覺山海上院本覺寺
開創年次 / 寛永8年(1631)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開基 / 金谷旧家16軒
所在地 / 富津市金谷
寺宝 / 雄譽上人真筆「名号」
由緒 / かつて霊巖上人の銘辞のあった梵鐘が伝来したが、戦時中、軍部の金属回収により供出。現在の梵鐘は昭和33年3月に、寺宝「名号」の字体を使って再鋳造したもの。

(8)法巖寺(ほうがんじ)

左:法巖寺本堂 右:雄譽霊巖上人墓塔
左:法巖寺本堂
右:雄譽霊巖上人墓塔

寺院名 / 四誓山超世院法巖寺
開創年次 / 慶長19年(1614)
附法開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開山 / 雲蓮社法譽傳通龍道上人
所在地 / 君津市下湯江
寺宝 / 霊巖書状。霊巖上人開眼(かいげん)「山越弥陀三尊(やまごえのみださんぞん)図」。霊巖上人筆「一枚起請文」。霊巖「農具市開催文書」

(9)湊濟寺(そうさいじ)

湊濟寺本堂
湊濟寺本堂

寺院名 / 根本山山王院湊濟寺
開創年次 / 元和元年(1615)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 富津市湊
由緒 / 慶長年間、湊村一帯に疫病が蔓延し村民全滅の危機に陥っていたところを、当時、佐貫の善昌寺に居た霊巖に救われたという。寺号の湊濟寺とは、湊村を救済したという意味で、村民の田地寄進によってこの寺は建立されたという。
寺宝 / 霊巖筆「厄除けの名号」。霊巖筆「刷毛書きの名号」。『湊濟寺縁起』。『霊巖上人名号霊験記(れいげんき)』

(10)大覺寺(だいかくじ)

寺院名 / 松風山霊巖院大覺寺
開創年次 /元和2年(1616)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 千葉市中央区生実町
縁起 / もと大巖寺の地蔵堂を、小弓(生実)村信徒たちの願いにより霊巖開山の寺に直したという。霊巖は上総方面の布教に奔走していて、常に住んではいられないので、身代わりの木像を造って与えたというが、村人がこの像に向かって頼みごとを話すと、日を置かずに霊巖が帰ってきたという。
寺宝 / 霊巖上人身代わり寿像

(11)三經寺

三經寺
三經寺

寺院名 / 佛法山補陀落院三經寺
開創年次 / 正嘉2年(1258)
開山 / 在阿法師
中興開山 / 4世檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 君津市市宿

(12)最頂寺(おくまん様)

寺院名 / 無量山壽經院最頂寺
中興開創 / 慶長4年(1599)
中興開基 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
中興開山 / 念蓮社篝稱譽上人蓮乗和尚
所在地 / 市原市姉崎
寺宝 / 霊巖は房州へ布教の途上、村人の願いでこの廃寺を浄土宗に改宗して再建し、蓮乘というお供の僧を供奉僧(くぶそう)(寺の本尊に使え給仕する僧)としてこの寺に留め、自身は次の布教先に向かったという。

(13)守永寺

寺院名 / 光明山清昌院守永寺
開創年次 / 慶長13年(1608)
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開基 / 松平紀伊守家信
所在地 / 市原市五井
由緒 / 徳川家康の母、於大(おだい)の方の姉にあたる、松平家信の母が慶長13年(1608)に没した。その菩提寺として霊巖を開山に迎えて開創された。
 当初寺号は長恩院殿心譽理安大姉という法名に因(ちな)み理安寺といったが、元和元年(1615)、五井を神尾五郎大夫守永が統治するに及んで現在の寺名に改めた。
 なお清昌院は神尾守永の正室であった清昌院殿の法名による。

(14)稱念寺

寺院名 / 唐竺山西明院稱念寺
開創年次 / 元和年中
開山 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
所在地 / 長生郡長南町
由緒 / 時宗遊行(ゆぎょう)第2世にあたる他阿心(真)教上人の草創による廃寺寸前の寺を霊巖が浄土宗として再興したという。

(15)善勝寺

寺院名 / 求法山随流院善勝寺
開創年次 / 文禄元年(1592)
随法師 / 檀蓮社雄譽霊巖上人
開山 / 肇蓮社源譽随流上人(大巖寺4世)
所在地 / 千葉市検見川町