2.民衆の支持者たち

 霊巖は将軍家や、皇室に対して宗要(しゅうよう)を進講する碩学(せきがく)でした。また多くの弟子を育成する学匠(がくしょう)でもありました。しかし、霊巖の心は常に民衆と共にあって、人々を教化する熱心な布教者でした。

 それを裏付けるかのように、霊巖は、一寺に永く留まらず、絶えず各地を巡錫(じゅんしゃく)しました。歓迎する民衆の願いや、帰依で各地にたくさんの寺を建立しています。また幾たびか、政治力により失脚の危難に見舞われますが、これも大勢の熱烈な信者たちの力がはね返したものと思えます。