3.霊巖和尚伝記(抄)

『霊巖和尚伝記』について

 雄譽霊巖の伝記は、天和3年(1683)に霊巖の弟子源誉霊碩が著した『霊巌和尚伝記』3巻、天保4年(1833)に霊巌寺の転誉存統が校閲板行した『雄譽上人伝記』4巻、安政6年(1859)に刊行された『霊巌上人略伝』1巻が知られている。うち『霊巖上人略伝』は昭和46年に『浄土宗全書』第17巻に収められた。

 世に流布したのは天保版で、本図録の目録に掲載した浄土宗寺院などに伝えられる伝記は、その板本ないしそれからの写本である。この天保版は霊巌寺首座の存統が、霊碩本を基に編纂し、諸書から評註を加えて霊巖伝の正確を期したものであるが、ここに収録した霊碩の『霊巌和尚伝記』がむしろ霊巖伝の詳細を伝えている。

 『霊巌和尚伝記』は洛陽勝円寺(下京区)の住職源誉霊碩が、霊巖没43年後の天和3年に、師霊巖の事績を書き綴ったもので、霊碩80歳の時である。霊碩は慶長17年(1612)の9歳の時に霊巖に付き従い、霊巖が大本山知恩院に入院する寛永6年(1629)までの18年間、常に側に随従していた人物である。その見聞と、霊巖晩年まで随伴した人々からの直言をもとに誌したとしている。もちろん誇張や記憶の誤謬も斟酌しなければならないが、霊巖の事績の概要を識る根本資料といえるものである。

 国書総目録によれば、『霊巌和尚伝記』の写本は、大谷大学本(元文元年写)と大正大学本(文政2年写)があるが、いずれも未刊である。当館所蔵の写本は年代は不明であるが、「随誉心愚」の蔵書印と「真祐庵」の蔵書票がある。

 本図録には紙幅の都合で全文を掲載することができず、安房国関係記事のみにとどめている。全文翻刻は後日を期したい。なお収載にあたっては、読み易さを優先して原文のままとせず、原文の返り点・送り仮名にしたがって読み下し文とし、句読点・獨点およびルビを付した。