【6】資料集
 霊巖上人略年譜


元号

西歴

年齢(数)

事項

参考
天文23年1554年14月8日、駿河国(静岡県)沼津今川家一族土佐守氏勝の三男として誕生。幼名友松。
永禄7年1564年112月15日、沼津浄運寺増譽上人につき得度。
肇叡と命名。
永禄11年1568年15下総国生実(千葉県)大巖寺道譽貞把上人の門に入り、霊巖と改名。
天正2年1574年21道譽貞把上人より宗脈五重相承。
天正3年1575年22安譽虎角上人大巖寺2世就任。
天正7年1579年26安譽虎角上人より戒脈相承。
天正15年1587年346月、安譽虎角上人より璽書印可。
8月、大巖寺3世となる。
天正18年1590年37冬、江戸城内の法門にて争論。
大巖寺を辞し、東海道へ旅立つ
天正19年1591年38南都(奈良県)に霊巖院(霊巖寺肇叡院)を創建。
文禄1年1592年39山城(京都府)宇治に称故寺、滝鼻に西光寺建立。
伏見城にて家康より大巖寺再住を命ぜられる。
文禄2年1593年40生実に帰着。大巖寺改築着工。字を松風とする。2月頃、浜松に念仏三毒滅不滅論起こる。
文禄4年1595年42「厄除の法像」完成。
慶長2年1597年449月頃、念仏三毒不滅論者追放。
慶長4年1599年461月、大巖寺「霊巖置文」
慶長5年1600年47関ヶ原の戦い
慶長8年1603年50大巖寺落慶。寿像作成。
大巖寺出寺。伊豆大島、安房と巡教。
安房の国主里見義康の帰依により、館山市大網一村を与えられ、大巖院を創建。入仏供養。
家康、征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。
11月、里見義康没する。
慶長10年1605年52家康、将軍職を秀忠に譲り、大御所となる。
慶長12年1607年5411月、大巖院「寿像」胎内銘。
慶長13年1608年55上総国(五井)の松平家信の帰依を得て守永寺の開基となる。
11月、受戒夫妻像(大巖院)
慶長14年1609年568月、大巖院「寺号扁額」
慶長15年1610年573月、里見忠義公に円頓戒を授ける。42石の朱印をもって大巖院寺領とする。
慶長18年1613年6010月、上総佐貫の内藤政長の帰依を得て善昌寺に転住
慶長19年1614年61上総国(君津市)法巌寺開基9月、里見氏改易
元和1年1615年62上総国(富津市)湊に湊済寺建立。
同国小糸に三經寺建立。
8月、宗祖法然上人の霊場巡拝に旅立つ。
3月、内藤政長安房国平群を加増
元和2年1616年63内藤左馬助政長を開基として安房国(富山町)検儀谷に大勝院を開く。
下総国(千葉市)生実に大覺寺建立。
里見忠義公を改易地に訪ねる。
4月、家康没する。
元和4年1618年65京都に到着
元和5年1619年66春、安房国(鋸南町)保田に別願院創建。
元和7年1621年68秋、江戸に霊巖寺仮堂建つ。
元和8年1622年692代秀忠、および家光にお目見え。9月、内藤政長岩城平へ転封
元和9年1623年707月、秀忠、将軍職を家光に譲り、大御所となる。
元和年中下総国(長南町)千田の称念寺改宗開山。
元和10年
(寛永1年)
1624年712月、大巖院『釈浄土二蔵義』版木刻銘
3月、大巖院「四面石塔」建立。
江戸に霊巖島を築き霊巖寺を建立。
孫弟子の光譽が安房国(館山市)の大戸の大円寺を開山するのに附法する。
寛永3年1626年73雄松院「九品来迎引接石」建立
寛永4年1627年74江戸城西の丸で、将軍ならびに大御所に法談。
寛永5年1628年75霊巖(岸)島を埋立て、諸堂宇建設はじまる。
寛永6年1629年76江戸霊巖寺本堂、諸堂落慶。
6月、台命により華頂山知恩院(浄土宗総本山)の第32世に任ぜられる。
寛永8年1631年78願いにより播州姫路城主本多美濃守忠政の葬儀導師を勤める。
岡山に霊巖寺を開く。
摂津国高槻城主松平紀伊守の願いにより江戸下谷英信寺開基となる。
この頃宣旨により仙洞御所の後水尾法皇に説法。10月26日、院宣により仙洞御所行幸の間で明正天皇に説法。
富津市金谷の本覺寺建立。
寛永9年1632年79上総国(君津市)法巖寺附法師(開基)1月、秀忠没する。
寛永10年1633年801月9日、華頂山知恩院出火。諸堂焼失。
6月、大巖院「釈迦涅槃図」
寛永13年1636年839月15日知恩院の大鐘できる。
朝鮮通信使が大巖院を訪れる。
寛永15年1638年85華頂山知恩院諸堂造営成就。
寛永16年1639年861月19日より落慶大法要。
寛永17年1640年87『浄土三部経』、『選択集』、『頌義』などを開板。
寛永18年1641年88春、落慶御礼のため関東へ下向。
6月14日上意により登城し法談。
9月1日、江戸霊巖寺にて没する。
天和3年1683年没後43源譽霊碩集『霊巖和尚伝記』3巻。
天保4年1833年没後193転譽存統校『道本開山雄譽上人伝記』4巻。
安政6年1859年没後219『霊巖上人略伝』1巻印行。
平成12年2000年没後360霊巖上人360回忌正当。