館山地区

 シリーズ5回目として館山地区を取り上げました。市域の中央部に位置し、近世以降安房地方の中心地として繁栄した地域です。館山という地名は、里見氏が居城とした館山城址(城山)が古くから城館として利用され、この山を館山と称したことから、城下も一般に館山と称していたもので、明治・大正の町村合併に際しても館山の名称が継承されました。

 館山地区は大きく館山と豊津の二つの地域に分かれ、館山は漁業と商業、豊津は漁業と農業をそれぞれ生業としてきました。現在は地区全体が新興住宅地と化し、市全域の8.5%にあたる9.3k㎡の面積に、人口が14,635人が市全体の26.0%の人が生活しています。

 館山湾南岸に位置し、集落は南部の丘陵との間に展開します。沼を中心に縄文から古墳時代の遺跡や中世のヤグラなどが分布しますが、近世初頭に里見義康が館山城を居城として以来、城下町が整備されるなどして安房の中心地として発展しました。

 江戸時代は、館山上町・館山中町・館山下町・新井浦・楠見浦・浜上須賀・岡上須賀・北下台・根古屋・上真倉・下真倉の11カ村からなる真倉村と、沼村・宮城村・笠名村・大賀村の5カ村がありました。明治22年に真倉村は館山町となり、沼・宮城・笠名・大賀は合併して豊津村となります。豊津村は当地が船舶出入の港津だったので、その繁栄を願い命名された村名です。館山町と豊津村は成立当初より町村組合を組織して行政にあたりましたが、大正3年に合併して館山町となりました。大正12年の大震災のとき海岸線が隆起し、沖ノ島・鷹ノ島が地続きになりましたが、昭和5年ここに館山海軍航空隊が設置され、戦時中は軍都としての様相を呈していました。

戸数のうつりかわり

旧町村名 天保 明治24年 世帯数
昭和45年 昭和64年
真倉村 新井浦 館山 142 530 1,528 1,523
館山上町 37
館山中町 45
館山下町 65
楠見浦 51
岡上須賀 61
浜上須賀 30
北下台村 0
根古屋村 上真倉 31 113 424 628
上真倉村 67
下真倉 59 71 246 808
沼村 沼村 129 291 675 813
柏崎浦 117
宮城 78 106 164 714
笠名 77 77 210 360
大賀 36 39 273 628
合計 1,025 1,227 3,520 5,474