沼(ぬま)

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 沼の地名は沼沢地が広がっていたことに由来するといい、東南部の谷奥ではサンゴ層を見ることができます。丘陵部には縄文から古墳時代の遺跡が多く、とくに沼つとるばの祭祀遺跡や総持院裏の大寺山洞窟遺跡などの古墳時代の遺跡はよく知られています。平安時代の『保元物語』で源義朝に参じた武士として登場する沼平太はこの地の人と考えられています。江戸時代初期の里見氏治政下では、里見氏の直接の支配地で、村高371石余。明治元年には429石余になっています。江戸時代には岡方の農業集落と浜方の漁業集落に分かれており、浜方を沼村之内柏崎村と呼んでいました。柏崎の神社は国司神社、寺院は浄閑寺。岡方には天満神社、寺院は総持院と栄洗寺、江戸時代には広徳院や妙安寺もありました。江戸後期になると職業画人の勝山調や狩野派絵師川名楽山などの画人を輩出しており、天満神社には川名楽山の記念碑が建っています。また石塚の地蔵堂跡には中世のヤグラがあり、五輪塔の陽刻がなされています。