宮城(みやぎ)

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 南側の丘陵よりの岡方の集落と、海岸よりの浜方の集落からなる地域です。江戸時代後期から湾内漁業をはじめ、明治になって蛯原久五郎が海苔の養殖産業をもたらして宮城海苔の名がつきました。江戸時代初期の里見氏治政下では、大家老の堀江能登守頼忠が知行し、村高205石余、明治元年は250石余になっています。寺院は堀江頼忠を開基とする頼忠寺があり、江戸時代は寺領10石。神社は熊野神社で、向拝の龍は後藤義光の弟子後藤義定が明治44年に制作したものです。戦時中は海軍航空隊基地があったため、周辺には航空機や物資保管用の壕が数多く残されています。