館山(たてやま)

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 城山の北側に広がる商業地域で、江戸時代以来安房地方の政治文化の中心として発展してきました。江戸時代は真倉村の一部で、館山上町・館山中町・館山下町・新井浦・楠見浦・浜上須賀村・岡上須賀村の三町四浦と北下台村に分かれ、浦方の村は古くから館山湾での漁業を行っていました。明治元年の村高は館山上町が12石余、館山中町11石余、館山下町16石余、新井浦9石余、楠見浦5石余、浜上須賀村9石余、岡上須賀村38石余、北下台村は6石。明治8年に浜上須賀・岡上須賀・北下台の3村が合併して上須賀村となり、さらに明治10年他の5町浦とも合併して館山町となりました。明治22年には上真倉村・下真倉村も合併します。役場は上須賀に置かれました。天正18年(1590)に里見義康が館山城を居城としてから城下町として整備され、家臣の勝長門守や町方の岩崎与次右衛門などがこれに尽力しています。また元和元年(1615)に新井浦・楠見浦から、大坂夏の陣に徳川方として水主30人が召集されていますが、港町としても発展し、上町には仙台藩の廻船役所がおかれ、明治以降は近年まで館山桟橋に汽船が発着していました。江戸時代は旗本領、幕領、旗本領と支配が移り、天明元年(1781年)から明治に至るまでは館山藩稲葉氏の支配となり、陣屋もおかれました。しかし稲葉氏支配以前は、北下台村だけは支配が異なり、正徳元年(1711)には北条藩屋代氏の支配で、元禄地震でできた干潟をめぐり北条村と真倉村で争いをおこしています。寺院は三福寺・長福寺・観乗院、神社は館山神社・金刀比羅神社・城山の浅間神社などがあります。浅間神社の社殿天井画の龍は、幕末~明治頃に北条村の渡辺雲洋が描いたものです。