天正18年(1590)に里見義康が居城とし、子の忠義が慶長19年(1614)に伯耆国へ移されるまでの間里見氏の本城だったところで、城下町の建設も進められ、近世大名里見氏のシンボルでした。城山の東にある天王山・御霊山・消滅した大膳山なども城郭の一部で、御霊山の東側には堀跡がはっきりと残されています。城山は戦時中に高射砲陣地とされたため、山頂が7mも削られ、周辺も著しく破壊されていますが、御殿跡や鹿島堀跡が発掘調査され、少しづつ当時の様子が明らかになっています。義康が本城とする以前には父義頼が岡本城の支城として利用し、またそれより以前の遺物である室町時代の五輪塔が、東南・西南の山裾で多数確認されています。
◇交通 JRバス・日東バス城山公園前下車徒歩1分