館山市館山にある沖ノ島遺跡は、昭和62年(1987)に発見されるまでは未知の遺跡でした。なぜかというと、標高0~-1mにある沖ノ島遺跡は、通常は海面下にあるため、干潮時にのみ砂浜にあらわれる特殊な遺跡だからです。
千葉大学文学部考古学研究室と旧千葉県立安房博物館が共同し、平成15~17年(2003~2005)に発掘調査を行いました。この遺跡からは、縄文時代草創期末の撚糸文(よりいともん)がある大浦山式・平坂式などの土器や、沈線文(ちんせんもん)がある縄文時代早期初めの土器と、黒曜石製の石器、銛頭(もりがしら)などの骨角器(こっかくき)がみつかっています。それらとともに、多量のイルカの骨が出土していることから、沖ノ島遺跡はイルカ猟の拠点として利用されたと考えられています。
遺跡が形成された縄文時代草創期末から早期の海水面は、現在より2~3m程低かったと推定されていますが、その後の縄文時代前期の縄文海進時には、現在より海水面が3~4mほど上昇していたと考えられ、その最盛時の海岸線は、現在の標高約27mの地点にあったと推定されています。
とすると、縄文海進最盛期の沖ノ島遺跡は、海水面-27mに沈んだことになります。沖ノ島遺跡は、その後の海水面の低下と房総半島最南端部の激しい地震隆起によって再び汀線近くにあらわれた海底遺跡であるとされています。