参考文献-より詳しく知るために

【1】 南房総の地震隆起段丘-館山湾の洞窟遺跡はなぜ高い標高にあるのか?

・杉江敬 『千葉県館山市加賀名遺跡』(財)総南文化財センター調査報告第40集 1999.3
・岡本東三・柳澤清一ほか 『千葉県館山市沖ノ島遺跡第1次発掘調査概報』千葉大学文学部考古学研究室 2004.4
・岡本東三・柳澤清一ほか 『千葉県館山市沖ノ島遺跡第2・3次発掘調査概報』千葉大学文学部考古学研究室 2006.3

【2】 房総の洞窟調査事始-穴の考古学

(1)勝浦市守谷湾洞窟遺跡群~房総半島の海食洞窟遺跡研究の端緒となった遺跡群
・日本考古学会洞穴遺跡調査研究委員会『日本の洞穴遺跡』平凡社 1967.3
・麻生優『日本における洞穴遺跡研究』発掘者談話会編 2001.4
・山崎直方「上総守谷洞窟に於ける史前時代の遺跡に就きて」『人類学雑誌』第40巻第3号 1925.3
・江上波夫「上総興津町附近洞窟遺跡について」『浦和高等学校学芸部学友会雑誌』8 1926
・增井經夫「上総興津町附近自然洞穴発掘報告」『考古学雑誌』第17巻第12号 1927.12
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県勝浦市本寿寺洞穴・長兵衛岩陰第1次発掘調査概報』2000.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県勝浦市本寿寺洞穴・長兵衛岩陰第2次発掘調査概報』2001.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県勝浦市こうもり穴洞穴第1次発掘調査概報』2002.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県勝浦市こうもり穴洞穴第2次発掘調査概報』2003.3
・千葉県教育委員会『千葉県所在洞穴遺跡・横穴墓詳細分布調査報告書』2003.3

(2)館山市佐野洞窟遺跡と安房神社洞窟遺跡~弥生の人骨か縄文の人骨か
・八幡一郎「安房国安房郡神戸村の古人骨埋没地」『人類学雑誌』第40巻第3号 1925.3
・千葉県「佐野洞窟」『史跡名勝天然記念物調査報告』4 1927
・米田穣「同位体で先史時代の暮らしにせまる」『東京大学アイソトープ総合センターニュース』VOL. 38NO.4  2008.3
・大場磐雄「官幣大社安房神社境内発見古代洞窟遺跡調査報告」1『神社協会雑誌』第31巻第8号 1932.8
・大場磐雄「官幣大社安房神社境内発見古代洞窟遺跡調査報告」2『神社協会雑誌』第31巻第9号 1932.9
・大場磐雄「官幣大社安房神社境内発見古代洞窟遺跡調査報告」4『神社協会雑誌』第32巻第1号 1933.1
・大場磐雄「官幣大社安房神社境内発見古代洞窟遺跡調査報告」1『神社協会雑誌』第32巻第4号 1933.4
・大場磐雄「安房神社境内発見古代洞窟調査概報」『史前学雑誌』第5巻第1号 1933.3
・小金井良精「安房神社洞窟人骨」『史前学雑誌』第5巻第1号 1933.3
・大場磐雄「安房神社洞窟遺跡」『日本考古学辞典』日本考古学協会編 東京堂出版 1962.12
・石川日出志「安房神社洞窟遺跡出土抜歯人骨群の年代について」『利根川』9 利根川同人 1988.4
・杉江敬「次代の人びとへの埋蔵文化財」『館山市立博物館報』47 1994.9
・杉江敬「安房神社洞窟遺跡」『千葉県の歴史 資料編考古2(弥生・古墳時代)』千葉県 2003.3
・MINORU YONEDA, AIKO SASO, RYO SUZUKI, YASUYUKI SHIBATA,MASATOSHI MORITA, GEN SUWA, TAKERU AKAZAWA,Chronology of the Yayoi skeletal remains from the Kanto district,Japan: a preliminary re-evaluation by radiocarbon dating of postcranial material, Anthropological SCIENCE ,Vol. 113, 169–182, 2005
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市 千葉県史跡安房神社洞窟遺跡第1次発掘調査概報』2009.2
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市 千葉県史跡安房神社洞窟遺跡第2次発掘調査概報』2010.3(刊行予定)

(3)館山市北下台洞窟遺跡~房総郷土史の先覚・大野太平が記した発掘記
・杉江敬『企画展図録神々の風景-古代のカミへの捧げモノ』館山市立博物館 1994.10
・岡田晃司「房総郷土史の先覚 大野太平の遺稿」『館山市立博物館報』61 1998.5

(4)館山市出野尾洞窟遺跡~入江の奥にある洞窟遺跡
・岡本勇・赤星直忠「関東地方の洞穴遺跡」『日本の洞穴遺跡』日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員会編 株式会社平凡社 1967.3
・館山市編纂委員会「出野尾洞窟貝塚」『館山市史』館山市 1971.6

(5)富津市明鐘崎洞窟遺跡~三浦半島との強いつながりをうかがわせる遺跡
・大川清「鋸南地区の遺跡」『安房勝山田子台遺跡』早稲田大学考古学研究室 1954.11
・對馬郁夫「明鐘崎の海蝕洞窟」『海』創刊号 海の会 1956.9
・小林行雄・杉原荘介編『弥生式土器集成』本編1 東京堂出版 1964

(6)館山市鉈切洞窟遺跡と大寺山洞窟遺跡の調査~文化財保護の機運の高まり
・滝口宏「大黒山海蝕洞窟」『安房勝山田子台遺跡』早稲田大学考古学研究室 1954.11
・滝口宏『館山鉈切洞窟の考古学的調査』早稲田大学考古学研究室報告第6冊 1958.10
・杉江敬「安房の洞窟遺跡調査事始」『館山市立博物館報』52 1995.9

【3】 房総半島の対岸―三浦半島の洞窟遺跡

・赤星直忠『穴の考古学』学生社 1970.1
・横須賀考古学会編『三浦半島の海蝕洞穴遺跡』横須賀考古学会 1984.5
・横須賀考古学会編『大浦山洞穴』三浦市埋蔵文化財調査報告書第4集 1997.3
・川上久夫、野内秀明、釰持輝久、小暮慶明『間口東洞穴遺跡』松輪間口東海蝕洞穴遺跡調査団 1997.3
・野内秀明・蟹江康光「三浦市松輪、間口東洞穴遺跡で発見された完新世の年代と洞穴の形成」『横須賀市博物館研究報告(自然科学)』45 1997.12
・釰持輝久「海蝕洞穴遺跡の研究」『月刊考古学ジャーナル』441 特集三浦半島の考古学 ニュー・サイエンス社 1999.2
・横須賀考古学会編『三浦半島考古学事典』横須賀考古学会 2009.3

【4】 館山湾の洞窟遺跡-棺になった舟。黄泉の国への憧憬

(1)館山市大寺山洞窟遺跡~国造級の豪族が奥津城とした海食洞窟
・白井久美子「海人の首長」『房総考古学ライブラリー古墳時代』2 千葉県文化財センター 1992.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市大寺山洞穴測量調査概報』1993.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市大寺山洞穴第1次発掘調査概報』1994.3
・白井久美子「館山市大寺山洞穴の出土遺物」『県史研究』2 千葉県 1994.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市大寺山洞穴第2次発掘調査概報』1995.3
・千葉大学文学部考古学研究室『千葉県館山市大寺山洞穴第3・4次発掘調査概報』1996.3
・辰巳和弘『講談社現代新書1130 「黄泉の国」の考古学』株式会社講談社 1996.11
・岡本東三『館山市大寺山洞穴遺跡発掘調査報告書』千葉県教育委員会 1997.3
・岡本東三『館山市大寺山洞穴遺跡発掘調査報告書』Ⅱ 館山市教育委員会 1998.3
・岡本東三・茂原信生・森恭一『館山市大寺山洞穴遺跡発掘調査報告書』Ⅲ 館山市教育委員会 1998.3
・岡本東三「大寺山洞窟遺跡」『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』千葉県 2000.3
・岡本東三「舟葬説再論」『原始・古代安房国の特質と海上交通』千葉大学文学部考古学研究室 2002.3
・岡本東三「大寺山洞窟遺跡」『千葉県の歴史 資料編考古2(弥生・古墳時代)』千葉県 2003.3
・杉江敬「棺になった舟-大寺山洞窟の棺になった丸木舟-」『月刊文化財』№520 第一法規株式会社 2007.2

(2)館山市鉈切洞窟遺跡~『大日本史』に記された10艘の丸木舟
・岡部精一「房州旅行中所見」『東京人類学会雑誌』第9巻102号 1894.9
・西村眞次「鉈切船越神社所蔵の刳舟」『人類学雑誌』第31巻10号 1916.6
・平野元三郎ほか『館山鉈切洞窟』千葉県教育委員会 1958.8
・ 金子浩昌・中村若枝「鉈切洞穴遺跡」『千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)』千葉県 2000.3
・杉江敬『千葉県館山市鉈切洞窟 市内遺跡(千葉県史跡「鉈切洞穴」)測量調査報告書』館山市教育委員会 2009.3

エピローグ 館山の歴史のなかにおける館山湾の洞窟遺跡 ・中村勉「弥生時代の三浦半島」『三浦半島考古学事典』横須賀考古学会 2009.3