(20)平久里川 

 嶺岡山地の西麓に源を発する川で、中・下流部で館山平野の穀倉地を形成し、当地が早くから開ける自然条件をなしました。下流は湊川と呼ばれ、河川交通の往時をしのばせます。また下流部は、流路の変化もありますが、ほぼ平郡と安房郡の郡境となりました。流長19.9km。

(19)六所神社(正木地区)  

 一般に六所神社とは、奈良・平安時代に国府に付随しておかれた神社で、国内の神社を集めて祀ったものです。館山でも平久里川の右岸、西郷に六所神社があり、安房国府があったとされている三芳村府中と川をへだてて隣接しています。

◇交通 日東バス館山駅前発→亀ケ原下車徒歩10分

(18)新御堂(亀ヶ原地区) 

 真言宗の寺院で、もとは、横峰にありましたが、昭和42年に、現在の秀満院のあった場所に移されました。もとの堂跡には、正徳4年(1714)に万人講により造立された石造地蔵菩薩立像などがあります。安房国観音巡礼札所第二番で、本尊は木造聖観音立像、堂内には、明治3年に造立された大きな木造大黒天などがあります。

◇交通 日東バス館山駅前発→亀ケ原下車徒歩3分

(17)大塚山(正木地区) 

 正木岡の山頂にある古墳で墳丘の形が前方後円墳の形に見えます。発掘調査をして、前方後円墳だとわかれば、市内で唯一のものとなります。海につづく沖積平野を眼下に見下すこの古墳は、おそらく那古、正木などだけでなく平久里川の形成した館山平野全域を支配した豪族の墓であったと考えられます。

◇交通 日東バス館山駅前発→亀ケ原下車徒歩12分

(16)横穴墓群(小原・正木地区) 

 正木岡から稲原、小原にかけての山腹には、多くの横穴墓がみられます。これは6世紀から7世紀にかけての豪族の墓です。内部の構造は単純なものから、家屋の天井を模した複雑なものまで種類も豊富です。稲原の鶴作横穴群の中には、文字を刻んだものもあります。「人王 六十 天神 天王七代」 などと読むことができますが、この文字は後世になって彫りこんだものと考えられます。

◇交通 JR那古船形駅下車徒歩15分

(15)稲原貝塚(小原地区)

 稲原の山の頂上近くに稲原貝塚があります。発掘調査の結果、今から約8000年前の縄文時代早期の遺跡だということがわかりました。この時期の遺跡は館山平野をめぐる50m以上の高台に限って発見されています。そのころは、このような見通しのきく、高い台地の頂上の狭い平地に数家族が寄りそうように生活していたのでしょう。さらに、この貝塚からはイルカの骨が多量に出土し、中には人間が突きさしたヤスの先の黒曜石がささったままのイルカの骨も発見されています。

◇交通 JR那古船形駅下車徒歩18分

(14)那古山自然林と那古寺(那古地区) 

 那古寺の裏山は寺の境内ということで自然がよく保存されています。スダジイの大木がそのまま、長い年月の間に立枯れになっては幼木と自然に入れ替り、これにタブノキ、ヤブニッケイ、ヤブツバキ、ヒメユズリハ等も混生し常緑広葉樹の密林となっています。

 那古寺は、坂東三十三番納札所、それに安房国札所第一番として、昔からの廻国巡礼の霊場です。寺伝には、行基開基、慈覚中興となっている真言宗の寺院で、本尊は木造千手観音像。室町期には、里見氏の帰依を受けて、寺運は隆盛しました。明治維新まで鶴ケ谷八幡神社(市内八幡)の別当寺で、寺に伝わる「僧形八幡神画像」が神社に移されて祭礼が行なわれます。この他、重要文化財銅造千手観音立像をはじめ、木造阿弥陀如来坐像(県指)など多くの文化財が所蔵されています。また、那古山頂からは、鏡ケ浦を囲む市街や、晴れた日には、対岸の三浦半島や伊豆半島、富士山も見わたすことが出来ます。山頂には他に、和泉式部の墓と称する塚もあり、必見の場所です。

◇交通 日東バス館山駅前発→那古下車徒歩1分

(12)西光寺(正木地区) 

 那古から正木の西郷を通り、府中の宝珠院に向う途中にある西光寺は、開山を慈恩院(上真倉)二世利眼とする曹洞宗の寺院です。慈恩院の末寺で、里見義康が天正19年(1591)に持仏堂(慈恩院)に宛てた寄進状には、「正木西光寺并寺領」云々とみえます。本尊は、銅造十一面観音立像で、境内には、安永3年(1774)の銘のある廻国塔をはじめ多くの石造物があります。

◇交通 日東バス館山駅前発→正木下車徒歩5分