奥付

“渚の駅”たてやまオープン記念特別企画展
中世の安房と鎌倉―海で結ばれた信仰の道―

平成24年3月3日発行
編集・発行 館山市立博物館
〒294-0036
千葉県館山市館山351-2 城山公園内
TEL 0470-23-5212 FAX 0470-23-5213

館山市立博物館分館
〒294-0036
千葉県館山市館山1564-1

第4章 房総里見氏と鎌倉の寺院

東京湾の主導権をめぐり、里見氏と小田原北条氏との長い戦いが始まります。大永6年(1526)、里見義豊は鶴岡八幡宮に乱入したといわれ、鶴岡八幡宮の社僧に非難されています。この義豊については、鎌倉の禅宗の僧侶との交流が知られていて、さまざまな賛辞をもらっています。

また、東京湾を挟んで里見氏と北条氏の対立が続くなか、里見義弘が鎌倉へ侵入した際、尼五山筆頭の太平寺住職青岳尼が房総にわたり、義弘の室になる事件が起きました。鎌倉でのこの事件に対し、北条氏康は青岳尼の妹である東慶寺の住職旭山尼に書状を送り、怒りをあらわにしています。

現在、円覚寺にある舎利殿は永禄6年(1563)の大火後、旧太平寺から移建したものとして知られ、東慶寺に客仏として残る聖観音菩薩立像も旧太平寺の本尊であったと伝えられています。

円覚寺舎利殿(鎌倉市山ノ内)
円覚寺舎利殿(鎌倉市山ノ内)

第3章 鎌倉と安房の仏教文化交流

 館山市出野尾にある小網寺には、鎌倉と安房との交流を物語る貴重な文化財が伝えられています。

 ひとつは、「金澤審海」の銘が刻まれている密教法具です。この審海とは、文永4年(1267)、現在の横浜市金沢区にある称名寺の開山に迎えられた僧侶であり、この密教法具は銘文から審海上人ゆかりのものと考えられています。

 もうひとつは、弘安9年(1186)に物部国光が製作した梵鐘です。物部国光は、金沢称名寺や鎌倉円覚寺の梵鐘など、北条氏と関係の深い寺院の梵鐘を製作しています。

 仏像彫刻にも、鎌倉からの影響下で造立されたものが安房に現存しています。鎌倉時代以降、鎌倉を中心に「宋風」というスタイルが流行し、特に鎌倉時代後半、禅宗の導入とともに関東地方に広がりました。その代表として挙げられるのが、法衣垂下像(ほうえすいかぞう)と呼ばれるもので、安房にも優れた作例が遺されています。

称名寺(横浜市金沢区)
称名寺(横浜市金沢区)

第2章 安房に広がる「やぐら」

 「やぐら」は、鎌倉を中心とした地域に集中的につくられた、中世の武士・僧侶階級の納骨所・供養施設です。山腹を方形にくりぬき、壁は垂直、床と天井は水平で、床面に納骨穴が掘られ、その上に五輪塔などの供養塔が安置されています。

 東京湾を挟んだ房総半島南部にも、数多く分布しており、なかでも、富津市、南房総市の旧丸山町・富浦町・三芳村、そして館山市の九重地区に濃密な分布が見られます。

 房総にやぐらが数多く存在する理由として、武士階級のつながりや鎌倉寺社領の広がり、東京湾の海上交通などが考えられます。房総のやぐらは、古墳時代の横穴墓を中世に転用した例が極めて多く、中世の房総の人びとが、やぐらを掘る手間を省く合理的な精神を持っていたのではないかと推測させるほどで、この地域のやぐらの総数の半数近くが、横穴墓を転用しています。また、やぐらが密集する地域が、鎌倉の寺社領と重なっていることが、文献資料から知られています。

水岡やぐら(館山市水岡)
水岡やぐら(館山市水岡)

第1章 鎌倉の寺院と安房

 東京湾を挟んで鎌倉に接している房総半島には、鎌倉の有力寺社の所領が多数確認されています。これらの寺社は、鎌倉幕府や北条得宗家と関わりが深く、海上交通をおさえるように所領を持ち、そこを通じて房総との交流をしていました。

 館山市内には、鎌倉円覚寺や極楽寺の所領が存在したことが確認でき、周辺には中世のやぐらや石造文化財が密集しています。

 このように、鎌倉の寺社領はやぐらの密集する地域と重なっていることがわかります。湊を拠点として、北条得宗家と結びついた禅宗や律宗系の寺院が、この地で活動していたことが想定されます。そして、その地域の一画にある萱野遺跡からは、三鱗・花菱文様の瓦が出土しています。この文様の瓦は、鎌倉幕府や北条得宗家と関わりの深かった鶴岡八幡宮や建長寺、極楽寺などの鎌倉寺社に限定して出土するものです。

萱野遺跡出土瓦(部分)
萱野遺跡出土瓦(部分)

目次

※この図録は一部抜粋した内容のみを公開しているため、目次の見出しのみとなっているページが多数ございます。ご了承ください。

総説 鎌倉と安房のつながり

 第1章 鎌倉の寺院と安房
  三鱗文の出土遺物
  円覚寺仏日庵領長田保西方
  称名寺領下尺万保(下尺万郷)
  極楽寺宝塔院領安東郷朴谷村

 第2章 安房に広がる「やぐら」
  鎌倉周辺のやぐら
  安房地域のやぐら
  鎌倉のやぐら出土遺物
  安房のやぐら出土遺物
  千手院やぐら郡

トピック展示 ウバガミサマ

コラム 鎌倉・三浦半島のやぐらと房総半島のやぐら

 第3章 鎌倉と安房の仏教文化交流
  小網寺の梵鐘
  金沢称名寺・審海上人と安房
  鎌倉と安房の法衣垂下像
  鎌倉文化圏の仏像

 第4章 房総里見氏と鎌倉の寺院
  里見氏と鎌倉の禅僧との交流
  里見義弘と太平寺・青岳尼
  太平寺跡の出土品
  糟谷氏とその関係資料

コラム 里見義弘と太平寺・青岳寺

論考 鎌倉と安房の仏像

関係年表

展示品・参考図版一覧

参考文献・協力者

ごあいさつ

 房総半島南端の安房地域は、古代から海を介してさまざまな地域と交流をしてきました。特に、鎌倉が政治・文化の中心となった鎌倉時代以降は、鎌倉と安房の寺社との間で、人やモノの交流が活発に行われました。

 館山平野には、かつて北条得宗家に関係する寺院が存在し、安房の各地には、鎌倉との結びつきを物語る様々な文化財が伝えられています。また、安房地域には鎌倉の寺社領が存在し、これらに重なるように数多くの「やぐら」が分布しています。鎌倉において、中世の有力武士や僧侶の墓とされてきたやぐらが、房総半島にも見られることは、東京湾をはさんだ房総半島南部が鎌倉文化と密接な関係にあったことを物語っています。

 平成23年「武家の古都・鎌倉」がユネスコ世界文化遺産に推薦され、鎌倉文化についての関心が高まっています。“渚の駅”たてやまのオープンを記念した今回の展覧会により、中世の鎌倉(三浦半島)と安房(房総半島)の交流を仏教文化から探り、海を通した地域間交流が中世、そして現在の館山にとって、ともに重要であることを知っていただく機会となれば幸いです。

 最後になりましたが、本展覧会にご協力いただきました方々に、厚く御礼申し上げます。

平成24年3月3日
館山市立博物館
館長 小山 真

凡例

  • 本書は、“渚の駅”たてやまのオープンを記念し、館山市立博物館分館において平成24年3月3日から4月22日までを会期として開催する特別企画展「中世の安房と鎌倉―海で結ばれた信仰の道―」の展示図録です。
  • 会期中に一部展示替えをおこなうため、本書に掲載されている資料が展示されていない場合があります。
  • 本書の図版番号と展示室の展示構成は、レイアウトの都合上必ずしも一致しません。
  • 資料名に付した記号の内、◎は国指定重要文化財、□は県指定文化財、△は市町村指定文化財であることを示します。
  • 史料釈文については原則として常用漢字を用いましたが、一部、異字体のまま残したものもあります。
  • 薄井和男氏(神奈川県立歴史博物館館長)に玉稿を賜わりました。
  • 本展覧会の開催および本書の作成にあたり、諸氏と諸機関に多大なる御協力・御助言を賜わりました。また、各所蔵先、機関から、写真の提供を受けました。巻末に御芳名を記し、深く謝意を表します。
  • 本展覧会の企画および本書の編集執筆は、学芸員 池田英真が担当しました。また、展示に伴う調査にあたっては、当館職員の協力を得ました。