2.富士の教えとその広まり

 富士の神様は古くから浅間(せんげん)神といい、中世以降は仏教と習合して浅間大菩薩とよばれます。浅間とはもともと、火山に対する呼び名として広く使われたとされる言葉で、富士山のたび重なる噴火現象が神の存在を暗示させたのかもしれません。

 こうした富士への信仰を具体的な教義としてまとめた最初の人は、戦国時代の行者、長谷川佐近藤原武邦です。肥前国長崎に生まれた武邦は、諸国霊場巡礼の修行中に富士山へ行くようにお告げを受け、浅間大菩薩の御在所とされる富士山西麓の人穴(ひとあな)にこもります。ここで四寸五分の角材の上に一千日間爪先立ちするという修行をし、これを終えた永禄3年(1560)に浅間大菩薩から「角行(かくぎょう)」という行名を与えられたとされます。角行は各地の湖をまわって水行を繰り返し、それによって得た法力を使って、病気治しなどの様々なオフセギを行ったほか、万物の根元である浅間神からさずかったという独特の異字を使って唱文を作りました。また富士の行者は自分の家業を大切にしなければならないとし、これらはみな後年の富士講の教義の基本になっています。角行の教えは弟子に受け継がれ、6世の村上光清(こうせい)以降は代々村上派と呼ばれて、富士行者としての系譜を伝えています。

 下って元禄元年(1688)に江戸で富士行者月行(げつぎょう)のもとに弟子入りした伊勢国出身の伊藤伊兵衛は、食行身禄(じきぎょうみろく)と名のって富士の教えに新たな教義を加えます。身禄は呪術による加持祈祷を否定して、正直と慈悲をもって勤労に励むことを信仰の原点とし、男女の同格を説きました。身禄の生きた時代は飢饉や商人による米の買い占めが庶民を苦しめていた頃で、「世のおふりかわり」を願った身禄は、享保18年(1733)富士山の七合五勺目にある鳥帽子岩で断食行をし、そのまま入滅をとげます。身禄の思想は、江戸時代の封建社会のなかにありながら近代的な倫理観をもったもので、これは後に武州鳩ヶ谷の小谷三志(こたにさんし)によって、孝行や勤労の道徳を主体とした不二道(ふじどう)として受け継がれました。

 さて、俗に江戸八百八講と言われ、関東一円にまで波及した富士講の大流行は、この身禄没後何十年か経てからのことです。身禄の弟子の一人で、入定に付き添った吉田御師の田辺十郎右衛門は、そこで受けた教えを「三十一日の巻」として筆写し、自らも北行鏡月(ほくぎょうきょうげつ)という行名を持って布教につとめました。江戸の弟子たちは元文頃から富士講を組織し始め、寛政頃には幕府の取締令が出されるほどになります。

 こうして普及した江戸の富士講は、身禄を元祖とかかげているにもかかわらず、その身禄が否定したほずの呪術を基本とし、梵天をたて、焚き上げをする修験の行体を持っていました。当時は一揆や打ち壊しが頻発していた社会状況にあり、ごく普通の町人がそのような山伏まがいの行動をすることは、一種の世直し運動ともいえるものでした。富士講は何度も幕府の取締りの対象となり、嘉永2年(1849)には完全禁止令が出されたためにやや勢いを失いました。

 ほどなく迎えた明治維新で神仏分離の制度が敷かれ、宗教に対する統制がなされましたが、富士講の人たちは専業の宗教者ではなかったので公認の立場を与えられませんでした。しかし教部省の役人だった穴野半(ししのなかば)や、吉田口の御師たちが働きかけて、神道の教団として認可されることになります。扶桑教、丸山教、実行教などは富士講を母体とした教団ですが、その教義は旧来の修験的な要素の上に、神道と近代思想が複雑にからみ合って、現在に至っています。

角行肖像(21 人穴図附大導師歴代絵図より)

角行肖像
(21 人穴図附大導師歴代絵図より)
     鳩ヶ谷市立郷土資料館蔵

身禄肖像
(21 人穴附大導師歴代絵図より)
     鳩ヶ谷市立郷土資料館蔵

身禄肖像(21 人穴附大導師歴代絵図より)
24 三十一日之巻

24 三十一日之巻

20 食行身禄真筆
     北口本宮冨士浅間神社蔵

20 食行身禄真筆

〔富士信仰の略系図〕

※『富士講の歴』(1983)を参考に作成

〔富士信仰の略系図〕
18 伝角行藤仏筆伝書巻物

18 伝角行藤仏筆伝書巻物
     鳩ヶ谷市立郷土資料館蔵

 角行は大行を終えて最も霊験あらたかなときに、厄除けのための様々なオフセギを浅間神から授かったという。角行筆と伝えるこの伝書には、元和6年(1620)に人穴での千日行を終えたことが記されているが、謎めいた文字が並び、解読は難しい。「明藤開山(みょうとうかいさん)」とは「明らかに藤(富士)山を開く」という意味で、富士信仰の一派を築いたことを指しているという。

22 御大行之事

22 御大行之事
     鳩ヶ谷市立郷土資料館蔵

23 日月仙元大菩薩御直伝月之巻

23 日月仙元大菩薩御直伝月之巻

 これら22、23の2点は寛政と文化年間に星行(せいぎょう)という行者が著した伝書で、病気治し、雨乞い、夜泣き止め、延命などそれぞれの用途にあわせたまじないがぎっしり書かれている。一方で孝行や忠義を尽くすことなどの記述もあり、呪術によるフセギと道徳の実践とが混在する当時の富士信仰の様子を知ることができる。

25 一字不説之巻

25 一字不説之巻

 食行身禄が享保7年(1722)から9年間を費やして書き上げた教典で、正直・慈悲・勤労といった身禄の教義の基本がここに著されている。