2.センゲンサマは地域の富士山

 安房の各地には、小高いところにセンゲンサマとよばれる富士の神様がまつられています。センゲンサマは、地元の富士講の人たちが奉納した立派な石宮であったり、あるいは氏神級の神社だったりするところもありますが、多くは銘文すらない小さな石の祠です。

 そもそも富士山の信仰とは、富士山を仰ぎ見る場所で、富士山そのものを拝むことから始まりました。安房のセンゲンサマがいつ頃からまつられるようになったかはわかりませんが、江戸時代の村明細帳などを見ると、明らかに富士講が普及する以前から「浅間宮」として存在しているところがあります。また、通常富士山が見えるとは思えないような外房寄りに位置しているセンゲンサマでも、高いところにあるので、場所によっては富士山がよく見えるのです。

 おそらく安房では、地域にもとからあった素朴な富士信仰を基盤に、江戸の影響をうけた富士講が広まったのでしょう。江戸周辺の富士講の人たちは、老人や子供でも簡単に登山できるように「富士塚」というミニチュア富士山を作りましたが、安房の場合は、センゲンサマをまつった地元の山が富士塚のようなもので、富士山さながらに五合目に小御嶽(こみたけ)様の碑を建てたり、中腹に御中道をつくって、毎年富士山のお山開きにちなんだ行事を続けているところもあります。

 またセンゲンサマは、漁をする人にとっての目印でもありました。海岸に近いセンゲンサマの山が魚見根(うおみね)山という別名をもっていたり、また内陸部にあるセンゲンサマの松の木が海からよく見えたなどという話はいくつも聞かれます。畑(はた)(館山市)のセンゲンサマにも以前大きな松がありましたが、地元の人たちがこれを切って売ろうとしたところ、この木を目印にしていた白浜の漁師たちが、切られては困るとお金を持って買いにきたといいます。ほかにも、日照りの年にセンゲンサマで雨乞いをした話なども聞かれ、センゲンサマは地域の守り神としていろいろな役割を持っていたのです。

白浜町塩浦の浅間神社

白浜町塩浦の浅間神社

7月31日の例祭日に御中道で法螺貝を吹く氏子総代

7月31日の例祭日に御中道で法螺貝を吹く氏子総代

103 富士山礼拝図絵馬

103 富士山礼拝図絵馬
白浜町・宝泉寺蔵

 白浜町塩浦の浅間神社に隣接する宝泉寺は、山号を冨士山といい、富士信仰に関係する小絵馬が奉納されている。