富士講の先達は本職の山伏ではないが、そのいでたちは、修験を基本にしているだけあって、山伏の姿にたいへん似ている。
腹掛(はらが)けの上に白い行衣(ぎょうい)を着て、白の手甲(てっこう)・脚半(きゃはん)をつけ、金剛杖(こんごうづえ)を持つ。杖につけた小旗はマネキといい、講中の目印である。頭に巻いたさらしの布は宝冠(ほうかん)とよばれる。腰に鈴(れい)をつけ、めのうの大きな玉がついた数珠(じゅず)を首や肩からかけて、御三幅の入った札箱(ふだばこ)を背負う。数珠は、富士山に行くたびに少しずつ玉を買い足して大きくしていく。ほかに小物入れとして下箱(げばこ)を肩からかける。
富士講の法会で本尊にする御三幅は、登拝の時にも祭壇がわりにするので、富士山には必ず持っていく。このため御三幅には、頂上の印や小御嶽様の印が登頂した数だけ押されている。行衣も同様で、何度も登山した先達のものは、押した印で真っ黒になっている。ただしかつての先達の家には、こうした行衣はほとんど残されていない。亡くなった時に先達に着せて葬るためである。苦難が刻まれた行衣は、あの世に旅立つ先達にとって最高の装束なのである。
72 先達の装束
(千倉町平磯 坂本真康氏)
74 下箱
個人蔵
75 数珠 個人蔵
76 鈴 当館蔵