【5】安房のなかの富士山 -センゲンサマと富士講-
 1.安房に広まった富士講

 安房で富士講が組織されるようになったのは、いつ頃のことでしょうか。那古(館山市)に富士講中が奉納した文化14年(1817)銘の石宮があることや、天面(あまづら)(鴨川市)の浅間神社にある文政11年(1828)の棟札に「富士講中」の文字が見えることから、化政期にはすでに江戸の影響をうけて安房でも富士講が広まっていたと考えられます。

 第2次大戦頃を境に、富士講を続けているところはごくわずかになりましたが、石造物やその他の資料から、安房には山三講・山包講・山水講という3つの笠印があることがわかっています。それぞれの講の系譜と残された資料を順番にみてみましょう。

91 天面浅間神社再建棟札

91 天面浅間神社再建棟札
鴨川市天面・浅間神社蔵