2.大先達・栄行真山

 安房の先達の中で、明治9年(1876)に108度という稀にみる登山回数を記録した人物がいます。長狭(ながさ)郡磯村(鴨川市)の松本吉郎兵衛がその人で、行名は栄行真山(えいぎょうしんさん)といいます。文政5年(1822)、26歳のときに富士山への信心を始めた栄行は、108度もの登山を成しとげ、また安房の中の108ヶ所に浅間宮をまつることを提唱しますが、その間に行ったさまざまな修行の様子や、信仰をとおして見聞きしたできごとを、自伝として詳しく書き残しています。

 本業は海産物を商う職業だったといい、鰹節を背負って富士山に行き、これを売り歩きながら資金に代えていたという逸話が残されていますが、自伝の中には、富士参りを兼ねて秩父巡礼をしたり、伊豆を廻ったりしながら、3~4ヵ月も修行の旅に出ていた様子が書かれています。

 このほか、浅間様や阿弥陀様の姿を見たり、病気を治すためのお告げを受けたり、手の先から煙が出たりと、不思議な経験が続々と出てくるばかりでなく、宗教者としての献身的な一面もみることができます。例えば明治10年に、コレラにかかった病人がたらい回しにされた末、死んでしまったという騒ぎがおこりますが、栄行はこれに関わった70名ほどの村人の身代わりとなって、21日間も断食行をします。また、ひどい日照りの年には、雨乞いのために断食して入滅しようとさえするのです。

 栄行は明治15年(1882)に85歳で亡くなりますが、その後大正年間頃までは栄行講として多くの講中をかかえていました。磯の浅間神社(鴨川市貝渚(かいすか))では、参道に栄行とその弟子の登山記念碑が立ち並び、現在も7月31日にお祭りが行われて、主に漁に携わる人たちが参拝に訪れています。

85 栄行真山写真

85 栄行真山写真

77 富士山礼拝図絵馬
 自伝には、文政7年(1824)、磯の浅間宮で7昼夜拝んでいたところ、浅間様が現れたことが書かれている。上の絵馬はその時の様子を描いたもの。

77 富士山礼拝図絵馬
82 栄行真山自伝

82 栄行真山自伝

78 食行身禄坐像
 自伝によれば、天保14年(1843)6月26日に33度目の登山を達成し、下山の時に吉田御師の田辺家から御身抜と身禄の木像をもらったとある。右の御身抜はこの時のもので、「田辺鏡行」の文字がみえる。また磯の浅間神社拝殿には、やはりこの時のものと思われる食行身禄木像が一体安置されている。

78 食行身禄坐像
80 三十三度大願成就御身抜

80 三十三度大願成就御身抜

83 富士山石灯籠建立勧進帳
 栄行は北口の宿として、他の安房の講中と同様に小猿屋を利用し、天保9年(1838)にはここの門前に石灯籠を寄進している。

83 富士山石灯籠建立勧進帳
81 百八度大願成就御身抜(栄行真山肖像画付)

81 百八度大願成就御身抜(栄行真山肖像画付)
 館山の絵師、川名楽山による肖像画(後筆)がついた、108度登山記念の御身抜

86 お伝え
 栄行が明治12年(1879)に洲崎(館山市)の渡辺定七に与えたお伝え。定七は櫓職人だったという。

86 お伝え
84 栄行真山髭

84 栄行真山髭
 明治2年に磯の浅間宮で入定しようとして断食したときに生やした髭を、明治14年に剃ったもの。

87 富士登山記念盃

87 富士登山記念盃