著者の栄行真山は、俗名を松本吉郎兵衛といい、長狭郡磯村の山包講先達をつとめた人物である。文政5年(1822)、26歳で地元の富士講に入って信心を始め、明治15年(1882)に85歳で亡くなるが、その間に108度もの登山をし、晩年の明治9年(1876)には安房の中の108ヶ所に浅間宮をまつる宣言をするなど、布教にもつとめた。
ここに紹介した著書は、栄行が28歳の時に地元の磯の浅間宮で霊験を受けて以来、信仰をとおして見聞きしたさまざまなできごとを記したものである。その大半は栄行自身の修行体験記となっていて、断食、火の物断ち、水垢離などの修行の様子が具体的に記されているため、修行の内容や旅程、頻度など、当時の先達の行動がたいへんよくわかるばかりでなく、先達が持っていた独特の神秘的な世界をかいま見ることができる。また栄行が自分の法力を用いようとする場面もあるが、その目的が個人的なものばかりでなく、雨乞いなどの社会的なものであることに注目したい。先達は何のために難行苦行をこなそうとするのか、また宗教者としてどのような役割を担っていたのか、改めて考えさせられる。
著書は、明治9年に108浅間宮を提唱したところでしめくくられていることから、この頃書かれたものと思われる。また下書きと思われる写本がもう一冊ある。文頭に記した『富士信心之始メより有難事書置』はこの写本につけられた題名であるが、資料名については内容に従って『栄行真山自伝』とした。虫喰いによる不明箇所については、写本を参考に補足した。原文保存のため仮名遣いや漢字は訂正せずに使用したが、読みやすくするために次のように整えた。
1.文中の節目には読点を付した。
2.補足不能の虫損箇所は、□印および[ ]にした。
3.挿絵の解説文は( )内に記した。