西暦 年号 | 事項 |
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3世紀頃 | -弥生時代- 国分に集落ができる |
5~6世紀頃 | 山本の峰古墳がつくられる |
6~7世紀頃 | 稲に横穴古墳群がつくられる。また山本の青山で古代祭祀が行われる |
757年 天平宝字1年 | 安房国が上総国から分立する。この頃、国分に安房国分寺が建立される |
9~10世紀頃 | 広瀬・稲・国分などに条里制が施工される |
836年 承和3年 | 館野原の人、伴直家主の孝心が朝廷より賞され、生涯の租税を免除される |
1200年 正治2年 | 群房荘のうち広瀬郷が、京都上賀茂神社に寄進される |
1319年 元応1年 | 稲の城山に板碑が建立される |
1390年 康応2年 | この頃、広瀬郷北方が安房国安西八幡宮領となる |
1533年 天文2年 | 里見義豊、叔父実堯を稲村城で討ち、国主となる |
1533年 天文3年 | 里見義豊、実堯の子義堯に討たれる |
1597年 慶長2年 | 里見義康、家臣石井駿河守に稲村で所領と屋敷を与える |
1603年 慶長8年 | 里見義康、大巌院を創建し雄誉霊巌上人を開山に招請する |
1606年 慶長11年 | 里見忠義、使番石井駿河守に稲村で200石、百人衆大野太郎兵衛に広瀬村で50石を所領として充行う |
1616年 元和2年 | 江戸幕府、安布里村の源慶院へ15石、山本村の金乗院へ4石のほか、大網の大厳院、稲の玉竜院などへ寺領を寄進する |
1638年 寛永15年 | 大網村と安布里村の一部を除く現在の館野地区が北条藩領となる |
1710年 宝永7年 | この頃、北条藩用人川井藤左衛門、滝川用水を浚渫する |
1711年 正徳1年 | 北条藩領の農民が一揆をおこし、国分村長次郎をはじめ三人の名主が処刑される(万石騒動) |
1712年 正徳2年 | 万石騒動により北条藩は廃藩となり、三義民の墓石が建立される |
1850年 嘉永3年 | 武田石翁、伴直家主を顕彰し、孝子塚に石碑を建立する |
1851年 嘉永4年 | 後藤三次郎恒俊、山本金乗院に向拝彫刻を施す |
1870年 明治3年 | 長尾藩、国分村萱野に藩士邸を建設する |
1873年 明治6年 | 山本・大作・滝川の3か村、連合して龍淵寺に山本小学校を設立する |
1874年 明治7年 | 稲村と加戸村が合併して稲村となる |
1877年 明治10年 | 山本村・大作村・滝川村、合併して山本村となる |
1889年 明治22年 | 国分村他6か村が合併して館野村となる |
1926年 大正15年 | 北条館野耕地整理組合、灌漑用水大正池を完成させる |
1954年 昭和29年 | 館野村、館山市と合併する |