『続日本後記』巻五の承和元年(836)12月7日の条に、安房郡の人伴直家主の孝心を賞して一生の年貢を免じ、村里の入口の門に善行を表章するという記事があります。石工武田石翁は家主の事跡を調べて、この塚を家主の墓と推定し、嘉永3年(1850)自ら碑を刻み、その遺徳を顕彰しています。さらに翌年国分寺境内にも同様の碑をたてています。孝子塚はその後整備が進められ、大正3年頃現在のような形になったといわれています。市の指定史跡。
◇交通 日東バス鴨川駅行・千倉平館行萱野口下車徒歩12分
『続日本後記』巻五の承和元年(836)12月7日の条に、安房郡の人伴直家主の孝心を賞して一生の年貢を免じ、村里の入口の門に善行を表章するという記事があります。石工武田石翁は家主の事跡を調べて、この塚を家主の墓と推定し、嘉永3年(1850)自ら碑を刻み、その遺徳を顕彰しています。さらに翌年国分寺境内にも同様の碑をたてています。孝子塚はその後整備が進められ、大正3年頃現在のような形になったといわれています。市の指定史跡。
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