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江戸時代には稲村・加戸村の2か村にわかれており、明治7年に両村が合併しました。弥生時代から集落がみられる地域で、岩井柵の丘陵部斜面には古墳時代の横穴古墳が群集しています。また一ノ坪~拾ノ坪・中ノ坪・壱町田など条里を示す地名が残っており、律令時代には条里制がおこなわれていました。城山周辺には中世の五輪塔や宝篋印塔、元応元年(1319)銘の板碑が出土するなど、豪族が拠点とした地域であったことがわかります。城山は戦国時代に稲村城として里見氏の初期の居城となりましたが、五代義豊のときには一族の内紛の場となっています。江戸時代初期の里見氏治政下では、稲村は使番十人衆の石井駿河守、廿人衆之頭本間宮内などが知行し村高460石余、加戸村は使番十人衆の正木五郎左衛門が知行し村高は95石余。明治元年にはそれぞれ276石余・98石余。神社は貴船神社、愛宕神社があり、貴船神社には石棒がまつられ、昭和10年頃まで神楽がおこなわれていました。寺院は城山の西の外郭に朱印地2石余の玉龍院があるほか、城山の西側に稲村院、東側に西柵堂があり、玉龍院の境内には寺子屋の筆子が建立した筆子塚があります。