西ノ原(ニシノハラ) 前田(マエダ) 五反田(ゴタンダ) 青木田(アオキダ) 西五反田(ニシゴタンダ) 昭田(ショウダ) 和田(ワダ) 船免(フナメン) 東五反田(ヒガシゴタンダ) 上青木田(カミアオキダ) 下青木田(シモアオキダ) 下曲縄(シモマガナワ) 上曲縄(カミマガナワ) 下袴(シモハカマ) 上袴(カミハカマ) 下反免(シモタンメン) 上反免(カミタンメン) 戸貝(トガイ) 関ノ谷(セキノヤツ) 西和田(ニシワダ) 増野谷(マスノヤツ)
「あぶり」という地名は、南北朝期の安房国守護代大喜光昌の書状に八幡宮神領の「阿布里保馬角村」としてはじめてみえ、これは現在の安布里付近だと考えられています。江戸時代初期の里見氏治政下では、里見氏の直接支配地で村高380石余。明治元年の村高は420石余。江戸時代中期以降、北条村のうちに76石余の出作がありました。神社は八坂山神社がありますが、本来は八坂神社であり、大網の山神社が火災で焼失したあと明治44年に合祀し八坂山神社となりました。関東大地震で倒壊し大正14年に再建されましたが、参道と拝殿の位置が現在づれているのはそのためです。寺院は源慶院と蓮幸寺があり、蓮幸寺には里見氏家臣の田山左衛門介正常の墓があります。また3石の朱印地をうけた長楽寺もありましたが、大正13年源慶院に合併されました。