(9)長尾藩士邸跡(国分)

 萱野は航空写真でもわかるように、森の中が道によって整然と区割りされています。これは、明治初期に館山を中心に4万石を領した長尾藩本多氏が、士族邸宅として開発したもので、当時の武家屋敷の面影を色濃く残しています。明治維新の改革の中で、将軍徳川慶喜は駿河・遠江・三河の一大名となり、それまで駿河国田中領(静岡県藤枝市)に領地を持っていた本多正訥は、安房に領地を持つようになりました。しかし、明治4年(1871)の廃藩置県によって武家社会は消滅し、多くの藩士は東京や藤枝などに出ていき、屋敷跡だけが残りました。一隅に本多氏の鎮守稲荷神社があります。

◇交通 日東バス鴨川駅行・千倉平館行萱野口下車徒歩8分