山本(やまもと)

六反目(ロクタンメ) 引田(ヒキタ) 矢矧(ヤハギ) 家ノ下(イエノシタ) 弘房(コウボウ) 溝合(ミゾアイ) 沢ノ町(サワノマチ) 西ノ下(ニシノシタ) 竹ノ下(タケノシタ) 妙見(ミョウケン) 中入(ナカイリ) 雪車免(ソリメン) 関谷(セキヤツ) 新房野(シンボウヤ) 登鎧(トガイ) 西山(ニシヤマ) 作畑(サクバタ) 田代(タシロ) 砂道(スナミチ) 宮ノ尾(ミヤノオ) 長見(ナガミ) 堀ノ内(ホリノウチ) 唐木作(カラキサク) 広作(ヒロサク) 北作(キタサク) 芦野(アシノ) 石田(イシダ) 青木町(アオキマチ) 長尾(ナガオ) 榎坪(エノキツボ) 古屋敷(フルヤシキ) 清水作(シミズサク) 蕨台(ワラビダイ) 鳶石(トビイシ) 七曲(ナナマガリ) 青山(アオヤマ) 下洲垂(シモスダレ) 上洲垂(カミスダレ) 大畑台(オオバタケダイ) 洞田(ドウダ) 峰(ミネ) 下並松(シモナラマツ) 上並松(カミナラマツ) 道ノ下(ミチノシタ) 桜木(サクラギ) 森ノ下(モリノシタ) 笹尾(ササオ) 笹尾谷(ササオヤツ) 泉作(イズミサク) 恩田谷(オンダヤツ) 西ノ作(ニシノサク) 大萩(オオハギ) 亀井(カメイ) 新道渕(シンドウブチ) 和田前(ワダマエ) 和田前谷(ワダマエヤツ) 越沢(コシザワ) 内ケ宿(ウチガヤド) 大多羅(オオタラ) 宮田(ミヤタ)

 山本の地名は山のふもとに位置することに由来するといわれます。嘉吉年間主君神余氏を滅ぼした山下左衛門尉定兼が、安房郡を山下郡と改めたといわれますが、山下郡の名は山本からおこったとされています。江戸時代には山本村・大作村・滝川村の3か村にわかれていましたが、明治10年に山本村に合併しました。丘陵部の峰にあった円墳からは首飾りが出土し、さらに丘陵南方奥の青山からは、古代祭祀に使用された手づくね土器が出土しています。また小原氏経塚や堀之内砦跡など中世の遺跡が残り、古くから豪族の拠点になった地域だと考えられます。江戸時代初期の里見氏治政下では、山本村は大家老の山本清七が知行し村高752石余、大作村は足軽小頭の金井筑後が知行し88石、滝川村は奏者の関神平が知行し75石余。明治元年にはそれぞれ、681石余・71石余・83石余になっています。神社は御嶽神社、白幡神社、木幡神社があります。寺院は朱印地4石の金乗院や、龍淵寺、三善寺、竜音院のほか、石田の地蔵堂、大萩の阿弥陀堂などがあります。地蔵堂には文明13年(1481)、鹿島の恵日作という木造地蔵菩薩像があり、半跏思惟の像容をした貴重な作例です。また龍淵寺には中世の石仏が、その裏山には寛永4年(1628)の銅製懸仏もあります。西山の崖面には十九夜念仏講の如意輪観音像、滝川の石田には文政5年の石橋供養塔など多数の石造物もみられます。館野小学校は歴史が古く、山本小学校と称した学制発布以来の教育資料が多数残っています。