鏡ヶ浦に祀られている神仏のなかで特異な信仰の広がりをみせたのが、洲崎神社でした。航海神としての信仰が、中世に東京湾内にひろがったのです。『永享記』という記録には、室町時代の末に江戸城を築いた太田道潅(どうかん)が江戸神田に安房の洲崎大明神を祀ったことや、神奈川(横浜市)や品川にも洲崎明神が祀られていることを伝えています。いずれも中世に繁栄した湊町です。
そのほかにも東京湾西岸で祀られていた場所があり、また三浦半島にも洲崎神社と地理的に対峙するゆかりの神が祀られています。
中世東京湾の湊と洲崎ゆかりの神社