(3)鏡ヶ浦を行き来する人々

 江戸時代になると、鏡ヶ浦には、そこに生活する人々や輸送や交易で出入りする人々ばかりでなく、社寺への参詣人や見聞を広める文人などの旅人も多く訪れるようになりました。

 右の古文書では、江戸時代の前半には那古寺門前の浜から、江戸へ往く人・観音への参詣者・諸国へ巡礼に出る人など、各地へ行く人々を乗せる船が出ていたことを伝えています。

 安房南部の人々が諸国へ出掛けるときには、鏡ヶ浦の北辺にある那古や船形から船に乗って三浦半島へ渡りました。少しでも三浦半島に近づくために、便船(びんせん)をさがして富山町の高崎や富津市の竹岡から船に乗ることもありました。

 明治になって汽船の時代になると乗船地が指定されたため、湾南辺の館山からも多くの人が乗るようになり、また直接海路で館山へ訪れる旅行者もふえていきました。

96.那古村那古寺境論返答書 寛文11年(1671)

96.那古村那古寺境論返答書 寛文11年(1671)

97.諸国参詣道中日記 天保15年(1844)
97.諸国参詣道中日記 天保15年(1844)<那古から渡海船で浦賀へ向かっている>
98.伊勢参宮中日記 明治42年(1908)
98.伊勢参宮中日記 明治42年(1908)<館山から汽船で横須賀へ向かっている>