【4】交通の移り変わり

 細尾根の丘陵が縦横に走る安房国では、陸上交通の主要路には、古代以来江戸時代まで、平久里川流域を北上するコースがつかわれました。内房の海岸沿いはいくつもの丘陵を越えなければならず不便なのです。とりわけ上総への道は難所でした。

 安房国の支配施設が置かれた館山平野には、上総や外房からの道が集まっていました。しかしここでは、陸上よりむしろ海が重要な交通路としての役割を担っていました。物資の輸送や他地域との往来には船が利用され、そのための湊が古代から鏡ヶ浦にはありました。