鎌倉時代・室町時代を通して、鎌倉が関東の政治・文化の中心となると、東京湾を挟んで身近にある安房地方は、強いつながりを持つようになりました。
近年、房総半島南部にも数多く分布することが確認された「やぐら」も、鏡ヶ浦・館山平野周辺には濃密に分布しています。鎌倉の社寺や北条氏・足利氏のような有力者の所領が多くあったり、鎌倉の律宗寺院の活動が活発に行なわれていたことと関係するのか、在地の武士が鎌倉の強い影響を受けているのか、詳しいことはまだわかっていませんが、鎌倉とのつながりがあることだけは確かです。
出野尾(いでのお)の小網寺に伝わる鎌倉時代の密教法具も、北条一族の金沢氏の菩提寺称名寺を開いた審海が所有していたものです。小網寺の鎌倉時代の梵鐘も、北条氏ゆかりの寺院の梵鐘をつくった鋳物師物部国光(もののべのくにみつ)の作です。鏡ヶ浦がこうした鎌倉文化をはこんできていたのです。
やぐら(館山市腰越 延命院)
94.「金沢 審海」の銘がある羯磨台
(小網寺密教法具)
鎌倉時代
館山市出野尾・小網寺蔵
94.五鈷鈴・五鈷杵
(小網寺密教法具)
鎌倉時代
館山市出野尾・小網寺蔵
95.城山下(館山市館山)出土遺物 ※以下95の写真
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
城山公園の南麓にある「ウバガミサマ」(通称八遺臣の墓)に五輪塔が並べられている。明治34年に掘り出されたもので、そのときに「瓶」7個が出土した。それがこれらの陶磁器と思われる。この場所は「やぐら」が崩れて埋もれたところと考えられ、陶磁器はこれを愛用した人物の骨蔵器として利用された。室町時代頃のこの地域の有力武士のものと思われるが、この宋代の白磁や常滑焼は、海上の流通ルートで高の島湊へ運ばれてきたのだろう。