(2)古代の国府と国分寺

 安房国は養老2年(718)に上総国から分かれて成立しました。ところが天平13年(741)に上総国へ併合されてしまい、再び分立したのは天平宝字元年(757)でした。そのため国府や国分寺の設置は遅れることになりました。安房国分寺跡は現在の国分寺とほぼ同じ場所で、薬師堂の左に金堂の基壇が確認されています。国府は三芳村の府中にある宝珠院境内のあたりと推定されています。国分寺と同じ砂丘列の上にありますが、そのあいだは滝川で砂丘が切断されています。国府がおかれた頃には平久里川がすぐ近くまで入江状に入り込んでいたと思われます。またその頃には平久里川も国府周辺を乱流していたかもしれません。安房国の役所は、海上交通路とつながる「淡水門」に近い砂丘上につくられたのです。

安房国府跡(三芳村府中 宝珠院)

安房国府跡(三芳村府中 宝珠院)

104.安房国分寺跡出土三彩獣脚

104.安房国分寺跡出土三彩獣脚
当館蔵

安房国分寺金堂基壇跡(館山市国分 国分寺)

安房国分寺金堂基壇跡(館山市国分 国分寺)

104.平瓦

104.平瓦
当館蔵

104.軒丸瓦

104.軒丸瓦
当館蔵